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April 01, 2008
『サイトリニューアル・ブログ移転のお知らせ』

本日4/1をもちまして、このブログを以下のURLに移転致します。また、サイト全体をリニューアル致しましたので、トップページも変わります。引き続きよろしくお願い致します。

新ブログURL
http://www.kakihara.org/wp/


Posted by MK @ 12:00 AM
Category : Notice
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March 28, 2008
『退職のお知らせ』

一部の方には突然のお知らせになってしまいますが、この3月末をもって、現在の職場である関西学院大学商学部を離れることになりました。月末まではまだ少し日が残っておりますが、今日が事実上の最後の日ということで、ご報告させて頂きたく存じます。

これまで5年間の関学での教員生活において、様々な方々にお世話になって参りました。初めて大学で働くことになり、右も左も分からないでいた僕を支え導いてくださった多くの同僚の先生方や事務の方々には深く深く感謝致しております。また、学外でお世話になってきた多くの企業・組織・団体の方々にも様々なご協力やご助力を頂きました。さらに、これまで様々なかたちでお付き合いさせてもらいました多くの学生の皆さんにもお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

今回の退職は、関西学院大学を離れるということだけでなく、大学教員の仕事そのものからも離れることになりました。来月4月1日からは、久しぶりにまた企業で働くことになっております。職場も住居も東京に移ります。新しい仕事が始まりましたら、改めて皆様にご挨拶させて頂こうと思っております。

このサイトはこれまでずっと柿原個人で運営して参りました。4月以降も私個人が運営する私的なサイトとして細々と続けていきたいと思っておりますので、またお暇なときにお立ち寄り頂けましたら幸いです。

本来であれば、お世話になった方々には直接ご挨拶にあがるべきところですが、このようなご報告で失礼することご容赦くださいませ。本当にいろいろとありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

柿原正郎

Posted by MK @ 12:03 AM
Category : Notice
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March 27, 2008
『それぞれの旅立ち』

今年もこの時期になった。毎年恒例の行事なのだが、それでも毎回新鮮な気持ちになる。教え子を送り出す。ただそれだけなのだが、やはり2年あまりかなりの深さと近さで付き合ってきた若者たちを送り出すというのは、やはり感傷的な気分にならざるを得ない。

送り出すゼミ生も今年で3期目。1期、2期とも違って、これまた個性的な面々が集まった学年だった。一言で言えば「やんちゃな奴ら」だった。

僕はこの「やんちゃ」というのをある時期の若者が持つべき重要な要素だと思っている。得てして最近の学生は、お利口でお行儀が良く、なんでもそつなくこなすスマートな若者が多いのだが、そんな「収まりの良さ」は僕は正直あまり好きではない。せっかく若いのだから、大人が決めた枠組みや慣習などを窮屈に感じ、葛藤しながらそれを乗り越えていったり壊していったりするような「若者が持つべき当然の若者らしさ」が僕は好きだ。

今回卒業していったゼミ3期生は、そんな「若者らしさ」を存分に持っていた連中だった。彼らと接していると、こちらまで元気になるばかりか、自分ももっと頑張らないといけないと、叱咤されるような気分にもなった。彼らのやんちゃぶりには時には非常に困らされることもあった。それも今となっては懐かしい宝物のような思い出だ。

彼らのおかけで僕もいろんなことを気づかせてもらった。シンプルにいえば、「挑戦」、この一言に尽きる。ここ数年、歳を重ねるごとに知らず知らず保守的になってしまっているのではないかと感じていたのだが、彼らのやんちゃなチャレンジングスピリットを傍で感じて、「いや、自分もまだまだ」と思うようになった。

語り尽くせない感謝の思いを込めて、彼らの門出を祝いたい。

++++++++++

愛して止まないゼミ第3期生の皆さんへ

皆さん、ご卒業おめでとうございます。

これまで何度も皆さんに言ってきたことですが、皆さんとは本当に深い縁を感じます。僕が皆さんからもらった勇気と元気は言葉では言い尽くせないものがあります。

皆さんに会っていなかったら、僕は多くのことを知らないままだったと思います。皆さんに会っていなかったら、僕はやる気のない怠惰で退屈な人間のままだったと思います。皆さんに会っていなかったら、僕は前に踏み出せなかったと思います。皆さんに会っていなかったら、僕は挑戦する心を忘れてしまったままだったと思います。

皆さんにこのゼミに入ってもらえて、皆さんと仲良くなれて、皆さんと多くの思い出を共有することができて、本当に本当に嬉しいです。ありがとう。そんな言葉でこの感謝の思いは伝えきれません。

皆さんと同じように、僕もまたこの4月から新しい一歩を踏み出すことになりました。皆さんと同じ時期に、こうした人生の節目を迎えることができたこと、これを縁と呼ばずして何と言えば良いのでしょう。

皆さんとのご縁は、こんな大学の卒業ごときで切れるものではないと信じます。ぜひこれからも末永いお付き合いをさせて頂ければ嬉しく思います。この2年間のゼミで過ごした日々は、これからの長いお付き合いのほんの始まりだったのだと思えるようになれれば望外の喜びです。

皆さんの大いなる前途を祝し、このブログエントリーを捧げます。ご卒業、本当におめでとうございます。

柿原正郎


Posted by MK @ 11:03 PM
Category : Teaching
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March 06, 2008
『齢を重ねるということ』

本日おかげさまで誕生日を迎えることができました。35歳です。四捨五入したら40です。冗談抜きに完全にオッサンです。いまでは体が気持ちに全然着いていきません。まあ、そういう年齢だということですか。

この歳になると誕生日と言えども、何も特別なことはない。パーティーもなければケーキもない。職場には僕の誕生日を知っている人などいないので、会ってもいつも通りの挨拶をするだけ。

それが寂しいというのではまったくなく、普段の日とまったく同じなところが逆に心地よい。

さらに、今日はとても驚いたニュースがあり、あまりお祝いという気分でもない。

今朝、久しぶりに3つ年上の姉からメールが入った。お互い忙しくて最近ではほとんど会わない姉からの誕生日祝いメールなわけだが、そのメールに書いてあったことが衝撃だった。

僕がロンドン留学していた頃、姉の職場の同僚で、ロンドン駐在していた方を紹介してもらった。僕自身はじめての海外留学で右も左も分からない状態で、姉もさすがに気にかかったらしく、ロンドンに駐在している同僚がいるから世話になったらと紹介してくれたのだ。その方はFさんというのだが、奥様と一緒にロンドン駐在されていた。

事実、僕ははじめての海外生活、はじめての留学で、いろいろと不安なこともあったのだが、そのFさんご夫妻にはとても良くして頂き、家に招いて頂いたり、レストランの食事に誘ってくれたりしてくれた。大学の寮から別のフラット(いわゆるアパート)に引っ越す際には車を貸してくれたりもした。Fさんご夫妻は僕とほぼ同年代で、僕にとって異国の地で本当にお世話になった最初の人たちだった。

そのFさんの奥様が癌で亡くなった。そう姉のメールに書いてあった。

Fさんの奥様は、とっても明るくて朗らかで素敵な人だった。あまりに素敵な人だったので、正直Fさんを羨ましく思っていた。その奥様が亡くなられたというのは、僕にとって大きなショックと驚きだった。

今日、僕もひとつ歳をとったわけだが、こうして齢を重ねるたびに健康というものの大切さが本当に身にしみて感じられる。また同時に、自分は「いま」を本当にしっかりと生きられているのかという思いを痛切に感じる。

今日、あまりに普段どおりの誕生日だったわけだが、その普段どおりの生活のなかでも、少しなにか新しいものも感じられた日だったような気がする。

そんな35回目の誕生日でした。

Fさんの奥様のご冥福をお祈り致します。

Posted by MK @ 10:32 PM
Category : Miscellaneous
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February 10, 2008
『実践主義の経営学に向けて:冨山和彦著「会社は頭から腐る」』


前回のエントリーの件は、収拾がつくどころか長期戦の様相を呈しているが、実は今回のエントリーが先日あげようと思っていたもの。

この本は産業再生機構の専務取締役COOだった冨山和彦氏の渾身の著作である。冨山氏は産業再生機構のすべての案件に関わり、現場を取りまとめる総責任者であった。2003年から2007年までの約4年間、冨山氏が具に見てきた経営の「修羅場」が、圧倒的なリアリティをもって描かれている。

この本は発刊から既に半年以上経っているので、既に読んだ人も多いと思う。僕も冨山氏の名前は当然知っていたし、この本の存在も知っていた。が、手が伸びなかったのである。僕はこの手の良く言えばキャッチー、悪く言えば趣味の悪いタイトルの本が嫌いで、「どうせコンサルタントの自慢話に毛が生えたエッセイ本だろう」と勝手に思い込んでいたのである。

しかし先日、ふと立ち寄った本屋でこの本を目にして、「ああ、あの本か」と思いつつ、何の気無しに手に取ってペラペラと読み始めてみたら、なんと一気に引き込まれてしまい、速攻レジに持っていった。普段ならハードカバーの本でも1時間もかけずに読んでしまうのだが、なぜかこの本はそうしてはいけない何かを感じ、自然にゆっくりゆっくりと読み込んでしまう自分がいた。


◆目次
プロローグ:経営医学序説
第1章:人はインセンティブと性格の奴隷である [経営と人間]
第2章:戦略は仮説でありPDCAの道具である [経営と戦略]
第3章:組織の強みが衰退の要因にもなる [会社の腐り方]
第4章:産業再生の修羅場からの臨床報告 [現場のカルテ]
第5章:ガバナンス構造を徹底的に見直せ [予防医学その1]
第6章:今こそガチンコで本物のリーダーを鍛え上げろ [予防医学その2]
エピローグ:今はまだ経営を語らず


仕事柄、日常的にかなりの量の経営書・ビジネス書を読んでいるが、久々に心を打たれた本だった。もちろん、勉強になるという意味では他にもたくさんの良書はあるのだが、それらは単に知識の1パーツとして頭の片隅に残るという感じにすぎないのだが、この本は自分の価値観を揺さぶられるという意味で非常に貴重な意味を持つ本になった。

この本にはいくつもの印象的なフレーズがある。

「人も組織も、インセンティブと性格の奴隷である」
「自己益、組織益、社会益の同期化」
「資本主義も会社も人が幸福に生きるための道具にすぎない」
「経営は合理と情理のバランス」
「人間性×能力=人間力」
「経営というのは、ひとつのキャスティングである」
「再生は言い訳との戦い」
「一流企業の競争など、所詮は『競争ごっこ』に過ぎない」
「若いエリートは、あえて負け戦に飛び込め」
などなど。

この本には「再生の修羅場からの提言」というサブタイトルが付けられている。まさにこの一言に尽きる。産業再生機構でカネボウやダイエーなど計41社の再生支援案件の「修羅場」を生き抜いていた冨山氏の言葉には、教科書的な経営理論などまったく空虚なものにしてしまう冷徹なまでのリアリティがある。

この本を読んで改めて思ったのは、経営学という学問分野にいる研究者の仕事は、本当にリアルな経営のリアルな現場で役に立っているのだろうか、ということである。

経営学には、数多くの「理論」と呼ばれるものがある。現代の社会科学において主流である論理実証主義(Positivism)に基づいて正当化(Justification)された概念枠組みである。それらのなかでも、実際の経営に対して多くの示唆や知見を与える有名な理論もある。

しかし、これらの経営理論はすべて「後付けの理屈」にしか過ぎない。現場の経営者やマネージャー達が自分や自らの組織を生き延びさせるために、日々悪戦苦闘しながら、手探りの試行錯誤のなかで見つけてきた「修羅場」を生き抜く術を、後から可能な限り客観的な視点と手法で調べて分析し、他の多くの人にも理解可能・実行可能なかたちに「言語化」する作業が経営学者の仕事である。その意味において、経営学者とは歴史家であり、翻訳家でもあるとも言える。

ただ、そうした経営学者の仕事やその成果物としての経営理論が、いま本当に実際の経営の現場にいかほどに役に立っているのかと問えば、大きな疑問符が目の前に立ちはだかるのである。特に、経営の危機に瀕し、いままさに生きるか死ぬかの瀬戸際にある企業に対して、現代の経営理論がどれほど手助けになっているのだろうか。

企業再生の「修羅場」をくぐり抜けてきた冨山氏が語る経営学や経営哲学は、驚くほどにシンプルである。「戦略とは仮説であり、実行のなかで検証し、絶えずフィードバックを繰り返しながら修正をしていく」というものだ。

「経営という社会科学の世界は、実験室で実験して効果を証明することができない。どれだけシミュレーション技術が発達しても、人間が介在する行為を完全に予測することはできない。そのため戦略の有効性を検証する唯一の方法は、実行してみることだ。実際にやってみるしかない。だから戦略が重要になるのである。戦略は正解を用意してくれるものではなく、あくまで仮説である。この仮説があるからこそ、正しい検証が可能となる。仮説なき実行は、宝くじを引くようなもので、当たるか外れるかは運次第となる。そしてほとんどの場合、宝くじのごとく当たらない。これでいいのなら誰でも経営ができてしまう。どのくらい精緻でかつ検証に有効な戦略仮説が立てられるかが、すなわち経営である。
 そこでまず戦略の位置づけとして、実践経営上は、仮説にすぎないということをよくわきまえて戦略を構築すべきである。そして、実践の中でずれていくことも当たり前のこととして、たえずフィードバックしながら修正を繰り返していくものである。」(p. 45)

冨山氏曰く、戦略はこれ以上でもないし、これ以下でもない。だからこそ、この戦略を実行する「人」が極めて大事なのだと説く。

「経営はとにかく人である。人の動きがすべてである。人の行動を支配している動機づけやその人の人間性と、組織として追求しなくてはならない目的や戦略とが同期するとき、両者は最小限の葛藤で最大限の力を発揮する。より多くの割合でこの同期が達成されれば、その組織はより大きな力を集団として発揮する。これができれば経営者自身も含めて個々には弱い人間の集まりを、企業体として極めて強力な戦闘集団として昇華させることが可能となる。しかもそれを市場や競争、技術革新、規制といった環境要因の変化に対応しながら持続的に行わなければならない。これがマネジメントなのだ。(中略)
 そこでなすべきこととは、結局、構成員各自のインセンティブ構造と性格を理解し、相互の個性をうまく噛み合わせ、そこに的確な役割と動機づけを与え、かつそのことを丁寧に根気よくコミュニケーションすることである。それを各階層で持続的、双方向的に、そして環境変化に対応しながら柔軟にやり続けることである。ある意味、当たり前だが、こうやって手間のかかる経営努力を骨惜しみせずにやること以外、私には解が見つからない。」(p. 29-30)

こうした主張は当たり前のことをただ繰り返しているだけかもしれない。しかし、自らもトップとして企業経営の経験があり、尚且つ企業再生の「修羅場」で繰り返し自分の経営理論を検証してきた人の言葉には有無を言わせぬ重みがある。

僕も含め、経営学という領域で研究や教育の仕事に従事している人間のうち、どれほどがこの冨山氏の言葉のような重みをもって経営理論や経営哲学を述べ、且つそれを必要とする人に届けられているのだろうか。自らを偏狭な学問領域に閉じ込め、偏狭なアカデミアの内側での評価にばかり気を取られるような経営学とは、いったい誰のための学問なのだろうか。

そんな自己否定に近い思いを、この本を読んで強く持ったわけなのである。

敢えて批判を覚悟で言わせてもらえれば、経営のリアリティ、特に、人の暖かさと冷たさ、強さと弱さ、深さと浅さ、そうしたアンビバレントな人間のリアリティに根ざさない経営理論など、空虚な屁理屈でしかない。理屈はいくらでも頭に入れることができる。しかし、それが実際に使えなければ屁理屈でしかないのである。

では、そのような実践主義(Pragmatic)の経営理論とは、はたして構築可能なのだろうか。もし可能だとすれば、どのようにすれば構築できるのだろうか。残念ながら、今の僕には十分に答える力も経験もない。ただ、これまでずっと探してきたし、これからも探し続けていきたいと思っている。

この冨山氏の本を読んで、こうした僕自身の経営に対する興味や、経営学に対する関心や、仕事に対する動機などを、改めて思い直すことができた。できることなら、もっと早く読んでおくべきだったと悔やむばかりである。

出版社の方々、お願いですから、こういった中身のある本に砕け過ぎたタイトルは付けないようにしてください。手に取るのが遅れてしまいます(笑)。

この本、ビジネスマンはもとより、いま経営学を勉強している学生や企業経営に興味がある学生たちにぜひ読んでもらいたい。安っぽいハウツー本や就活本を読むより100倍勉強になると思います。


Posted by MK @ 09:12 PM
Category : Research
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