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April 26, 2004
『深夜ケータイにメールを送ることに纏わるエトセトラ』
新年度が始まって、あっという間に2週間がたった。2年目ということで、時間的にも気持ち的にも少しは余裕ができるかと思っていたが、甘かった。2年目は2年目で、また新しくやらねばならないことが増えるので、結局忙しさは変わらない。 このウェブログもついつい更新が遅れてしまい、先日たくさんの人に怒られてしまった。「せっかくたまに見てやってるんだから更新しろ」と。う~ん。つーか、公開しておきながら何なのだが、このウェブログ、あんましマジに期待して読まんとってください。単なる雑文ですので・・・(冷汗)。 と言いつつも、ここで書きたいネタは実はたくさんあるのだが、ひとまず自分の備忘録的に書かせてもらいたいことがある。 つい先日、僕のゼミの学生達に連絡を送ろうと思い、彼ら全員のケータイにEメールを送った。ゼミの学生に限らず、上ヶ原キャンパスの学生さんは思いのほかPCのEメールを使わないので、急ぎの連絡を送る際には必然的に彼らのケータイにEメールを送らざるを得なくなる。 数日後のゼミの日、そのメールについて複数の学生からクレームがついた。何かと思いきや、夜中にケータイにメールを送ってくるな、と(もちろんこんな言い方はしていないが)。要は彼らはケータイを目覚まし時計としても使っており、寝る際に枕元にケータイを置いているのだそうだ。確かに、僕がメールを送ったのは深夜1時頃だったと思う。そりゃ深夜に誰か起こされたら腹立つわな。 しかし、これじゃあEメールの意味が無いではないかと、オジサンは思ってしまうのである。Eメールというものは、コミュニケーションし合う人間が同じ時間を共有する必要が無い、非同期型(asynchronous)のコミュニケーションツールであることが画期的なのではなかったか。電話では相手をつかまえて同じ時間を共有させないとコミュニケーションが成立しなかったが、Eメールは自分も相手も都合に合わせてメッセージの送信・受信が可能なのである。だからこそ、仕事の多様性(task variety)に富んだビジネスシーンにおいて爆発的に普及してきたのではなかったか。 それが、Eメールがケータイに乗っかるようになると、非同期型コミュニケーションツールとして普及したEメールがどんどん同期的(synchronous)に使われてきているのは興味深い。学生の話を聞いていると、ケータイで誰かにメールを送って返事がなかなか返ってこないととても心配になるそうだし、また誰かからメールを自分の都合もらったらできるだけ早く返信するようにしているそうだ。 これはある意味意外なことではなく、僕自身の調査においても、同じような結果が出ている。フリーランスのジャーナリストやコンサルタントの携帯情報端末の使用実態に関する調査をした際、かなりの人数がPCに送られてきたEメールをケータイに全て転送しており、重要な案件に関しては、すぐさまケータイから返信するようにしていた。今の僕の職場でも、K先生はPC宛てにEメールを送っても、間髪いれずにケータイから返信がくる。 このようにEメールを同期的に使おうとすると、メールを送る側も受け取る側も新たなコミュニケーションの姿勢が必要となるようだ。送る側は相手の状況(時間・場所)にある程度配慮しなくてはいけないようになるし、受け取る側も返信のプライオリティを新たに考えなければならないようになる。 これはまさに、僕がインタラクションの非対称性(asymmetry of interaction)と呼ぶものだ。あらゆる場所で様々な情報アクセスが可能になるという「ユビキタス・コンピューティング」や「ユビキタス・ネットワーク」などの概念のなかで、「いつでも・どこでも(anytime, anywhere)」と呼ばれているコミュニケーションのスタイルがいかに現実離れしているかは明らかだ。人間同士のインタラクションにおいて、完全に場所独立的(location-independent)・時間独立的(time-independent)であることなどありえない。全ての人間の係わり合いというものは、本質的に場所依存的(location-dependent)であり、時間依存的(time-dependent)なのだ。 そうなってくると、やはり重要なのは、文脈(context)に合わせたコミュニケーションのモード選択と、適切なツール選択だろう。広い意味での、インタラクション・マネジメント(interaction management)が必要になるというわけだ。 ツール面から見れば、今回の学生のクレームは、ケータイの着信音と目覚まし音を別々に設定できないという機能的な問題でもある。実際、僕が今使っているケータイも着信音をサイレントモードにすると、自動的に目覚まし音も鳴らないようになっているようだ(バイブレーションはする)。サイレントモードにしても目覚まし音が鳴るようにすると、それはそれで支障があるケースもあるだろうから、これは意外に難しい問題だろう。 なんかややこしい話になってきたが、今回の話をまとめると、以下のようになる。 「目覚ましには、時計を使え」 Posted by MK @ 01:18 AMCategory : Research - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 初めまして?というのはウソで、私はトミーです(笑)柿原先生のホームページ初めてみました★先生ほんとにおじさんですね!でもとても面白い話でしたよ☆私も目覚ましがわりに使ってるし、携帯をもつようになってから腕時計など持たなくなりました。その腕時計は電池だけがなくなり、もはや使い物になってません。世の中って進歩するにつれ、人間がルーズになっている気がします。私もその1人ですが…。。反省。先生今度は『人間の心理』なんてやってくれませんか?人を信ずる心とか知りたいですね☆ - - - - - - - - - - 宮林です。 - - - - - - - - - - 杉本@福岡大学です。柿原先生に自分のblog見つけられたので記念に来ました。 昨年、関西学院にいた頃から私も同じような状況に直面してます。やっぱりオジサンですかね。福岡大学もほとんど携帯メールでPCを使わない傾向があるので対応が難しいなあと感じています。 「非対称性」、なるほど!ですね。 でも柿原先生。「私は目覚ましに携帯を使ってます。」 少しだけ若者気取りして失礼いたします。 Posted by: 杉本宏幸 : June 24, 2004 07:53 PM- - - - - - - - - - http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200411/2004111900038.htm ほお、分けて設定できない携帯もあるのですね~。 さて、何て言ったらよいものか・・ Posted by: 神田さくら : September 7, 2005 09:10 AM |
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というような結論だけを言うと、おじさんといわれ(略
Posted by: Moripiro : April 27, 2004 01:32 AM携帯の時計機能は便利ですしね。スヌーズ機能とかも自由に設定できる機種が多いし、かく言う先生も時間を携帯の背面液晶で見てるシーンをまま見受けられますが。
普段腕時計をしなくなって(というより腕時計にステータスシンボルを感じなくなったのかな)、携帯=時計となった私たちには、ちと厳しいご指摘かなと思います。