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February 10, 2008
『実践主義の経営学に向けて:冨山和彦著「会社は頭から腐る」』
この本は産業再生機構の専務取締役COOだった冨山和彦氏の渾身の著作である。冨山氏は産業再生機構のすべての案件に関わり、現場を取りまとめる総責任者であった。2003年から2007年までの約4年間、冨山氏が具に見てきた経営の「修羅場」が、圧倒的なリアリティをもって描かれている。 この本は発刊から既に半年以上経っているので、既に読んだ人も多いと思う。僕も冨山氏の名前は当然知っていたし、この本の存在も知っていた。が、手が伸びなかったのである。僕はこの手の良く言えばキャッチー、悪く言えば趣味の悪いタイトルの本が嫌いで、「どうせコンサルタントの自慢話に毛が生えたエッセイ本だろう」と勝手に思い込んでいたのである。 しかし先日、ふと立ち寄った本屋でこの本を目にして、「ああ、あの本か」と思いつつ、何の気無しに手に取ってペラペラと読み始めてみたら、なんと一気に引き込まれてしまい、速攻レジに持っていった。普段ならハードカバーの本でも1時間もかけずに読んでしまうのだが、なぜかこの本はそうしてはいけない何かを感じ、自然にゆっくりゆっくりと読み込んでしまう自分がいた。
この本にはいくつもの印象的なフレーズがある。 「人も組織も、インセンティブと性格の奴隷である」 この本には「再生の修羅場からの提言」というサブタイトルが付けられている。まさにこの一言に尽きる。産業再生機構でカネボウやダイエーなど計41社の再生支援案件の「修羅場」を生き抜いていた冨山氏の言葉には、教科書的な経営理論などまったく空虚なものにしてしまう冷徹なまでのリアリティがある。 この本を読んで改めて思ったのは、経営学という学問分野にいる研究者の仕事は、本当にリアルな経営のリアルな現場で役に立っているのだろうか、ということである。 経営学には、数多くの「理論」と呼ばれるものがある。現代の社会科学において主流である論理実証主義(Positivism)に基づいて正当化(Justification)された概念枠組みである。それらのなかでも、実際の経営に対して多くの示唆や知見を与える有名な理論もある。 しかし、これらの経営理論はすべて「後付けの理屈」にしか過ぎない。現場の経営者やマネージャー達が自分や自らの組織を生き延びさせるために、日々悪戦苦闘しながら、手探りの試行錯誤のなかで見つけてきた「修羅場」を生き抜く術を、後から可能な限り客観的な視点と手法で調べて分析し、他の多くの人にも理解可能・実行可能なかたちに「言語化」する作業が経営学者の仕事である。その意味において、経営学者とは歴史家であり、翻訳家でもあるとも言える。 ただ、そうした経営学者の仕事やその成果物としての経営理論が、いま本当に実際の経営の現場にいかほどに役に立っているのかと問えば、大きな疑問符が目の前に立ちはだかるのである。特に、経営の危機に瀕し、いままさに生きるか死ぬかの瀬戸際にある企業に対して、現代の経営理論がどれほど手助けになっているのだろうか。 企業再生の「修羅場」をくぐり抜けてきた冨山氏が語る経営学や経営哲学は、驚くほどにシンプルである。「戦略とは仮説であり、実行のなかで検証し、絶えずフィードバックを繰り返しながら修正をしていく」というものだ。 「経営という社会科学の世界は、実験室で実験して効果を証明することができない。どれだけシミュレーション技術が発達しても、人間が介在する行為を完全に予測することはできない。そのため戦略の有効性を検証する唯一の方法は、実行してみることだ。実際にやってみるしかない。だから戦略が重要になるのである。戦略は正解を用意してくれるものではなく、あくまで仮説である。この仮説があるからこそ、正しい検証が可能となる。仮説なき実行は、宝くじを引くようなもので、当たるか外れるかは運次第となる。そしてほとんどの場合、宝くじのごとく当たらない。これでいいのなら誰でも経営ができてしまう。どのくらい精緻でかつ検証に有効な戦略仮説が立てられるかが、すなわち経営である。 冨山氏曰く、戦略はこれ以上でもないし、これ以下でもない。だからこそ、この戦略を実行する「人」が極めて大事なのだと説く。 「経営はとにかく人である。人の動きがすべてである。人の行動を支配している動機づけやその人の人間性と、組織として追求しなくてはならない目的や戦略とが同期するとき、両者は最小限の葛藤で最大限の力を発揮する。より多くの割合でこの同期が達成されれば、その組織はより大きな力を集団として発揮する。これができれば経営者自身も含めて個々には弱い人間の集まりを、企業体として極めて強力な戦闘集団として昇華させることが可能となる。しかもそれを市場や競争、技術革新、規制といった環境要因の変化に対応しながら持続的に行わなければならない。これがマネジメントなのだ。(中略) こうした主張は当たり前のことをただ繰り返しているだけかもしれない。しかし、自らもトップとして企業経営の経験があり、尚且つ企業再生の「修羅場」で繰り返し自分の経営理論を検証してきた人の言葉には有無を言わせぬ重みがある。 僕も含め、経営学という領域で研究や教育の仕事に従事している人間のうち、どれほどがこの冨山氏の言葉のような重みをもって経営理論や経営哲学を述べ、且つそれを必要とする人に届けられているのだろうか。自らを偏狭な学問領域に閉じ込め、偏狭なアカデミアの内側での評価にばかり気を取られるような経営学とは、いったい誰のための学問なのだろうか。 そんな自己否定に近い思いを、この本を読んで強く持ったわけなのである。 敢えて批判を覚悟で言わせてもらえれば、経営のリアリティ、特に、人の暖かさと冷たさ、強さと弱さ、深さと浅さ、そうしたアンビバレントな人間のリアリティに根ざさない経営理論など、空虚な屁理屈でしかない。理屈はいくらでも頭に入れることができる。しかし、それが実際に使えなければ屁理屈でしかないのである。 では、そのような実践主義(Pragmatic)の経営理論とは、はたして構築可能なのだろうか。もし可能だとすれば、どのようにすれば構築できるのだろうか。残念ながら、今の僕には十分に答える力も経験もない。ただ、これまでずっと探してきたし、これからも探し続けていきたいと思っている。 この冨山氏の本を読んで、こうした僕自身の経営に対する興味や、経営学に対する関心や、仕事に対する動機などを、改めて思い直すことができた。できることなら、もっと早く読んでおくべきだったと悔やむばかりである。 出版社の方々、お願いですから、こういった中身のある本に砕け過ぎたタイトルは付けないようにしてください。手に取るのが遅れてしまいます(笑)。 この本、ビジネスマンはもとより、いま経営学を勉強している学生や企業経営に興味がある学生たちにぜひ読んでもらいたい。安っぽいハウツー本や就活本を読むより100倍勉強になると思います。
Category : Research - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - >takuyaさま お買い上げありがとうございます(笑)。 |
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力の入った書評に、思わずぼくも読んでみようという気になり、このブログのアフィリエイト収入に貢献する行動を取ってしまいました。
Posted by: takuya : February 11, 2008 01:30 PMぼくは商学系ではありませんが、組織の問題はどこへ行ってもぶつかりますからね。
面白そうな本をご紹介くださってありがとうございました。