|
July 21, 2004
『青山ブックセンター、逝く。』
なんだかホロリと寂しい気分になった。六本木にあった青山ブックセンター(通称ABC)が先週いっぱいで営業を中止したことを知った。僕のサラリーマン時代の思い出の中で、そんなに大きな存在ではないと思っていたのだけど、無性にそんな気分になった。 僕が大学卒業後、東京・六本木でサラリーマンをしていたのは1995年から1999年まで。その間、ABCには数え切れないほど足を運んだ。特に、仕事を始めて間もない頃は、怒涛のように迫りくる仕事に翻弄されそうになりながらも、なんとか勉強して乗り切らねばと、むさぼるように本を買い込んで読み漁っていた。仕事終わりが深夜0時を回ることがほぼ日常化していた生活だったので、それから行ける本屋さんといえば、職場に近くて深夜まで営業していたABCしか選択肢が無かった。 ABC六本木店は、決して広い店舗でもないし、販売タイトル数も非常に限られた書店だった。しかし、その品揃えは極めて個性的で、デザインや広告・マーケティング関連の書籍は出色の充実度だった。当時の僕の仕事柄、これらの分野の充実度はありがたい限りだった。また、哲学・思想系の書籍も密かに(笑)しっかりと揃えてあり、哲学かじりの僕としては、仕事の本を買うついでに、科学思想系の本もよく買った。 前述のように、僕がこのお店にやって来るのはだいたいが深夜だったのだが、いつも意外に結構な数の来店客がいた。僕が東京に出てきたばかりの頃は、まだ飲みに行くような友達も少なく、かといって独り暮らしの家に早く帰る理由もなく、夜な夜なABCに立ち寄っていたのだが、このお店でちょっと疲れ気味だけれどどこか真剣なまなざしで本に読み入る他の来店客を横目に見ながら、「あぁ、僕は独りじゃないんだ」と、まるで根拠のない安堵感を胸に抱いたりしていた。 ABCは、時折僕にちょっとした「ごほうび」のようなものもくれたりした。六本木という場所柄と深夜営業しているということから、ABCにはいわゆる「ギョーカイ」関係者やタレント・芸能人もよく来ているようだった。 ある日、いつものように深夜にABCに行ってデザイン関係の本をいくつか立ち読みしていたところ、僕のとなりで女の子が似たようなデザイン関係の本を見ていた。とても小柄な女の子で帽子を深くかぶっていたので顔は見えなかったのだけど、なぜだか雰囲気のある子だったので、僕は立ち読みしているフリをしながら何気に気になっていた。 僕も彼女も近くに立っていて、それぞれで適当に本を手にとって読んでいたのだが、ふと同じ棚の本に手が伸びた瞬間にお互いの顔を見ることとなった。僕はおもわず息を飲んでしまった。彼女は僕を何の感情もなく単に見ただけなのだけど、僕は彼女の自然な表情に思わず吸い込まれてしまったのだった。彼女は固まっている僕の異変に気がついたようで、「しまった」と思った時には時すでに遅し、彼女は軽く会釈をしてほかの場所に移っていってしまった。 たったこれだけの一瞬の出来事なのだが、僕にとってはなんだか妙に特別な思い出として今でも心に残っている。彼女は当時徐々にメジャーになりつつあり、いまでは押しも押されぬ演技派女優としての地位を固めつつある若手女優で、後から知ったのだが、僕とまったく同い歳ということもあり、この一件をきっかけに密かにファンだったりする。 この他にもABCでは、こちらも今では超メジャーになってしまった元モデルや、めっきりテレビに映らなくなった元アイドルなど、いろんなタレントさんにお目にかかることができた。そーいえば、いかつい格好のプロレスラーが普通に本を読んでいるのを見たときには、思わず微笑まずにはいられなかったな。という感じで、ABCは、寂しい独り暮らしの男に、一時の清涼剤のようなものを時々くれたりするものだから、なおさら足が向くようになっていた。 そんな僕にとってのABCなわけだが、やはり時代の流れには逆らえなかったようだ。書籍販売というのも、いまや儲けるのは本当に難しい時代になった。相次ぐ大規模書店の出店、コンビニやレンタルショップ等での書籍販売の拡大、そしてAmazonという黒船の到来。これら全て、小規模書店にとっては、乗り越えるには余りに大きい時代の波である。ABCは、その個性ある品揃えや深夜営業の先駆者として、この書店大競争の時代をこれまでなんとか生き延びてきたわけだが、それももう限界だったようだ。 個性ある小規模書店はもう生き残れない時代なのだろうか? いや、そうではない。と言いたいのだが、考えれば考えるほど、その問題の難しさが見えてくる。事実、僕自身も本を購入するのは、大半は学校で使っている業者かAmazonを通じて、残りは近くの駅にある大型書店である。家の近所の小さな書店には、たまに散歩がてら立ち読みをするぐらいで、申し訳ないが買ったことはほとんどない。 旧態依然とした業態・業種は、「競争」という時代の奔流に押し流されてしまうのは当然の帰結である。ただ、そこにある種のノスタルジーを感じる人間にしてみれば、なんとか生き残って欲しいと思ってしまう気持ちも自然に生まれてくる。人間、変わることを受け入れられなくなってしまったら終わりである。しかし、時にはほんの少しばかり、おセンチになってみたって良いではないか。 嗚呼、ABC。本当にアリガトウ。そして、サヨウナラ。 Posted by MK @ 03:07 AMCategory : Miscellaneous Permalink | Comments (1) July 14, 2004
『FM802訪問とそれに纏わる諸々の雑感』
前回のエントリーに引き続き、今回も最近進めている企業訪問ネタ。行ったのは大阪のFMラジオ局、FM802。実際に訪問したのは、2週間ほど前になるのだが、バタバタしていてここに書く暇がなかった。申し訳。 お話を伺ったのは、西川光男取締役技術部長。1989年の開局当時から参画され、現在にいたるまでのFM802の歴史の全てを知る数少ない関係者のお一人。現在の役職は技術部長ということだが、ご自身もおっしゃられていたように、どちらかというと「文型」タイプの方。ちなみに、関学OBでもある。 FM802といえば、阪神間の学生と20代サラリーマン・OLに絶大な人気を誇る大阪ローカルFM局。2003年12月における関西圏ラジオ聴取率シェアは、AMを含めてもダントツ1位の42%、FMに限って言えば、なっなんとオドロキの56%。敵無しとはまさにこのことである。 今年で開局15周年を迎えるFM802は、ラジオ局ビジネスにおいてあまりにも多くの革新を生み出してきた。 FMを「FUNKY MUSIC」とかけたコンセプト、「大阪」ではなく「OSAKA」と呼ぶ心意気、そして「18歳の感性」に対するこだわり。いろんな「型」にがんじがらめになっていた当時のFMラジオ業界にまさに旋風を巻き起こした。今の若い人は知らないかもしれないが、今では当たり前のようにある「ヘビーローテーション」という考え方も、日本で初めて導入したのはFM802だ。 僕の年代にとって、FM802とはまさに青春そのものである。バブルもはじけ、徐々に下降線をたどり始めていた関西経済において、FM802の様々な活動はうつむきがちな関西人の心に新鮮な刺激をもたらしてくれた。 なかでも「バンパーステッカーキャンペーン」は、当時大学生だった僕のまわりで、自分の車に張っていないヤツはいないくらい流行った。こっ恥ずかしくなってしまうぐらいポップでファンキーなステッカーを、自分の車にデカデカと張るなんて、東京の人には絶対理解できないだろう(笑)。けど、それが「OSAKA」なのだ。 こうした思い出が脳裏をフラッシュバックしていきながら、西川氏のお話を聞いていた。大阪発の大阪流のベンチャービジネスとしては、比類ない程の成功を収めたFM802の歴史を詳しく聞かせてもらって、後発参入の事業戦略・ブランド戦略のケーススタディとしてとても良い事例となりそうだと思った。 しかし、こうした過去を懐かしんでいる場合ではないのがいまのラジオ業界である。収益の大部分を占める広告料収入は減少の一途を辿っており、全体の総広告費におけるラジオのシェアは3%を切ろうとしており、近年拡大を続けるインターネット広告に追い越されるのは時間の問題となっている。そうした問題に直面しつつも、新たな収益確保の目途はたっていない。 そんななか、最後の望みの綱といえるのが、デジタルとの絡みである。ひとつは、最近対応機種も続々出始めた「FMチューナー内蔵ケータイ」である。基本技術としては目新しいものではないが、これまで携帯電話キャリアとFM局の利害がうまく一致せず実現しなかったが、FM放送受信にデータ通信を伴わせることで双方にうまくメリットが生み出せる仕組みとなったことで、一気に実現した。これは、所謂「メディア・コンバージェンス」と呼ばれる通信と放送のメディア融合と言えるが、メガビジネスの世界ではなく、僕らの「手のひら」のなかで今まさに進みつつあるところが面白い。 もうひとつのデジタルとのからみは、「デジタル・ラジオ」そのものである。こちらは実用化試験放送が昨年に始まったばかりの段階だが、音声だけでなく文字や映像とあわせたラジオの新しい楽しみ方を提供することができるようになると期待されている。だが、当然ながら話はそんなに簡単ではなくて、音声・文字・映像が一緒になるのなら、それこそインターネットと何が違うのかという話になり、「ラジオ」というメディア形態そのものの存在価値がゆらいでしまう。 まあ、そんなこんなで西川氏との話のなかで、ラジオ業界の今後についても色々と意見を交わしたのだが、西川氏の発言のなかに出てきた「リアルタイム・メディア」としてのラジオの価値に改めて気付かされた。 デジタル化の進展により、情報の利用は「いつでも・どこでも」というスタイルに近づいたことは間違いない。特に、情報の利用を時間軸で捉えると、音声にしろ映像にしろ、デジタルによる録画・編集・配信技術の革新により、利用者側はその情報を受け取り活用する時間を拘束されないようになった。お気に入りのテレビドラマも、ひとまずパソコンや録画専用機のハードディスク上に保存しておき、好きな時間に見ることができる。天気予報もテレビの放映時間を気にすることなく、パソコンやケータイでいつでも確認することができる。 しかし、そうした情報の「オンデマンド消費」が可能になればなるほど、情報の発信とその消費の時間的ズレが発生する。そのことは、新たな問題をも生み出すこととなる。 卑近な例で言えば、先日大型の台風が阪神間を通過し、講義が全日休講となったわけだが、僕は毎朝テレビのニュースや新聞をほとんど見ずに家を出て、研究室についてからネットで一通りの情報を確認するようにしている。そのため、その日の朝に出ていた大雨警報に気付かずに、休講になっていることを知らずにズブ濡れになって学校まで来たのだった。つまり、情報の「オンデマンド消費」が当たり前にになりすぎて、台風上陸→警報発生というリアルタイムの情報の消費が遅れてしまった。まさに、「いつでも」という情報消費の利便性が仇となったしまったわけだ。 このように、デジタル化の進展により情報の「オンデマンド消費」が広まってくるなか、ラジオの「リアルタイム・メディア」としての価値が高まってくるともいえる。ゆくゆく考えてみると不思議なのだが、これほどまでに録画・録音技術が普及したにもかかわらず、ラジオ番組というものはリアルタイムで楽しむことがほとんどではないだろうか。わざわざCDやテープに録音せずに、放送時間にチューナーを合わせて、その放送を「生」で楽しむ。そうした楽しみ方がされていることを制作側も分かっているから、ラジオ番組はテレビに比べて生放送番組が圧倒的に多い。情報の発信と消費を同じ時間軸に乗せることで、情報の「生」感覚をさらに高めるわけだ。 このラジオ番組の「リアルタイム消費」特性は、「オンデマンド消費」が拡大しつつあるいまのメディア環境のなかで差別性を生み出せる点ではある。こんなことは、ラジオ業界の人やメディアをそこそこ勉強している人には当たり前のことだとは思う。しかし、こうしたラジオのメディア特性を十分に理解し、いまそれを明確なビジネスモデルと収益メカニズムに繋げていくことを今のラジオ業界は迫られているのである。 てな感じの話を西川氏としたわけだが、ネタが尽きることなくどんどん進んでしまいそうだったので、また機会を改めてということになった。僕自身も、ラジオという古くて新しいメディアについて、もちっと勉強してみようかなという気になった。 Posted by MK @ 03:03 PMCategory : Meeting Permalink | Comments (0) |
© Masao Kakihara 2003-2007
All rights reserved.