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September 24, 2007
『スタンダードかギミックか:iPod touch』
とうとう我が家にもやってきました。Appleの最新型iPod「iPod touch」。 これまで僕が使ってきたのはiPod nanoだが、けちってメモリ容量の少ない2GBモデルにしてしまったため、メモリがいっぱいになってしまっていたので、ちょうど買い替え時期だった。また、以前にiPhoneに関するエントリーを書いた手前、やっぱり例の「マルチタッチインターフェイス」を自ら試したいというのもあった。 というわけで、早速驚いたのが家に届いた小包の小ささ。何せ、タバコケース2つ分くらいで、びっくりするほど小さいので本当に本体が入っているのか心配になってしまうくらい。というのも、ケータイやPCを買うといつも付いてくるあの忌々しい分厚いマニュアルが入っていないのだ。入っているのは、イヤフォンとUSBケーブルとペラペラの説明書のみ。らくらくホンもビックリである。 まさにこれがiPodの強みであり、Appleの競争優位である。これだけの先進技術の固まりの製品が、マニュアル無しでほとんどの機能を直感的に使うことができる。しかも、高齢者をターゲットにした製品ではなく、一般ユーザー向けの製品でそれを実現しているのである。尚且つ、今回はマルチタッチインターフェイスというAppleとしてもまったく新しいユーザーインターフェイスを採用した製品であるにもかかわらず、である。 そしてその注目のマルチタッチインターフェイス。まさにルック&フィールで何の迷いもなく使えてしまう。画面をスライド(ページ送り)をする際に、指で画面を滑らせて放り投げるような動作をすると、ものスゴい滑らかな動きで画面が滑っていく。初めて使った際には、「おおっ」と声を上げてしまいたくなるくらい。これまでにもタッチスクリーンのインターフェイスを採用した製品はいくつもあったのだが、それらが全て色褪せてしまうくらい違う次元に行ってしまっている。 こうした野心的なインターフェイスを自らの主力商品であるiPodにど真ん中ストレートで投入してきたAppleの決断には感嘆するばかりである。 僕はデザインは専門でもなんでもないのだが、製品開発におけるデザインに関して感覚的に思うのは、日本のメーカーは「足す(加える)デザイン」はそこそこ上手なのだが、「引く(削る)デザイン」はあまり巧くないということだ。何かしらの原型があれば、それに必要なものを付け足していくような作業には創造性を発揮するのだが、かなりの水準でユーザーのニーズが満たされたり絞られてしまっている状況において「何を引く/削るのか」という判断ができないということだろう。それは、多様な要素間の優先順位を付けるのがヘタということか、優先順位の低い要素を削るという大胆な意思決定をするのがヘタということか、その両方ということだ。 この点に関して、某家電メーカーの中の人が国内家電メーカーのユーザーインターフェイス設計の問題を指摘してくれている。設計の方向性としては、「操作回数を減らすのか」、もしくは「ボタンの数を減らすのか」という二極に分かれるが、ここで前者に向かったのが国内メーカー、後者に向かったのがAppleということになるのだろう。事実、Steve Jobsは「ボタンは製品を複雑にし、外観を損なう」と考えているようで、それがAppleの製品設計の根底にずっと流れ続けている。 このように、iPod touchのユーザーインターフェイスの革新性やAppleの製品設計思想の素晴らしさは、敢えて僕がここで繰り返さなくても五万といるAppleの熱狂的ファンの人々が十分答えてくれているが、僕の関心はこの前のエントリーでも書いたように、やはりこのユーザーインターフェイスの「市場性」にある。 確かに、この「マルチタッチインターフェイス」の革新性は疑問の余地はない。一度見てしまえば、他のメーカーでも真似はいくらでもできるだろう。しかし、最初に設計・開発し、実際に市場に投入するのはApple以外には無理だったと思わざるを得ない。 しかし、この革新的ユーザーインターフェイスが、QWERTYキーボードのような「スタンダード」になるかというと、その可能性は低いのではないだろうか。他のメーカーとしても、この「マルチタッチインターフェイス」をそっくりそのまま模倣してしまうことは、自らデザインの放棄を公言してしまうことにもなるので、タッチスクリーンは採用しても微妙にルック&フィールを変えてくるだろう。 さらには、Apple自身ですら、この「マルチタッチインターフェイス」を今後のiPodの主力インターフェイスとして採用していない。このiPod touchと一緒に、これまでのiPodのインフーフェイスを踏襲する「iPod Classic」と「iPod nano」もリリースした。Apple内でも、iPodシリーズ全体から完全に物理ボタンを消し去ってしまうほどの決意をもってiPod touchを投入したわけではないのである(まあ、それは賢明な判断だと思うが)。 となると、僕が手に入れたこのiPod touch。単なるギミック(おもちゃ仕掛け)のユーザーインターフェイスが付いた容量の少ない(16GB)iPodなのだろうか。やっぱりこれは「電話機能無しiPhone」でしかないのだろうか。僕はそんな製品を嬉しそうに発表日当日に予約注文した超ミーハーなガジェット好きユーザーなのだろうか。 うん。まあ、そういうことなのだろう。まあ、それで良いではないか。そうであったとしても、Appleの今後の動きにはやっぱり大注目であることには変わりはない。しばらく僕はおもちゃを与えられた子供状態だろうが、そのおもちゃ遊びから家電製品の未来を妄想してみたっていいだろうさ。 Category : E-biz news Permalink | Comments (4) September 09, 2007
『「いまここ」の尊さ:DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007』
今年の夏は本当に音楽漬けの毎日であることは先日もお伝えしたとおりだが、その最後を締めくくるに相応しいイベントに昨日行ってきた。 オリンピックでもサッカーワールドカップでもない、4年に一度の祭典。史上最強の移動遊園地。そう。DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007である。 あれは高2の夏だったろうか。ラジオから流れてきたなんとも軽快なメロディと艶やかな歌声とチャーミングな歌詞。それは彼らの曲「うれしはずかし朝帰り」だった。当時ドリカムは大阪ではそこそこ人気があったのだが、全国的にはまだブレイクしていない頃だったと思うが、その比類無き楽曲のセンスと吉田美和の歌声にすぐさま惹き込まれた。 それからもう17年。随分と時が経ってしまったが、僕はずっとドリカムファンだった。彼らが全国的にブレイクした後、なぜか一時彼らの曲を聴かなくなってしまった時期もあったのだが、2005年の「何度でも」でふたたび僕のドリカム熱は完全復活した。 そんなドリカムが「史上最強の移動遊園地」と銘打って1991年から4年に一度開催してきたライブイベントがこの「DREAMS COME TRUE WONDERLAND (DWL)」だ。 彼らのライブパフォーマンスの素晴らしさは誰もが知るところだが、実は僕はドリカムファンでありながら、一度もライブには行ったことはがなかった。というのも、とにかく4年に一度なので、そもそもチャンスが少ない。前回の2003年も行こうかと結構悩んだのだが、仕事がバッティングしてしまい泣く泣く断念した。 実は今年も直前まで行こうかどうしようかかなり悩んでいた。正直30代半ばにもなってライブなんて結構思い切らないと行けないもんである。けど、これを逃すとまた4年後である。そう思うと、ノリと勢いで行くしかないと思い切って今回はじめての参加を決意したのが8/30。それから某ヤ○オクさんにお世話になり、9/8の京セラドーム大阪での公演のチケットをなんとか確保。思いのほか良い席が取れたこともあり(アリーナのかなり前列)、公演前日はまさに遠足前日の幼稚園児状態だった。 そして、いま。1日経ったいまでも、あの感動をどう表現していいのか分からないままでいる。 この思いを言葉で表現しようと何度も試みるのだが、少しでも思い出そうとすると、目の前をドリカムの2人が駆け抜けた情景や京セラドーム大阪の4万人が揺れたあの情景が頭いっぱいに怒濤のように広がってきて、どうにもこうにも言葉に綴ることができないのである。 こんなに感動したのはいつ以来だろう。目の前で吉田美和が歌う「未来予想図II」を聴きながら、気づいたら僕の目から汗が滝のように流れていたのは言うまでもない。 あの日、僕の目に映るドリカムは、あの瞬間、他のどこでもない、あの場に存在した。CDやDVDから流れる音や映像ではなく、いま目の前で彼らが奏でる音を耳にし、あの空気を肌で感じた。そして、二度と再現できないあの経験を僕にもたらしてくれたのである。この「いまここ」に存在することの尊い意味を、僕は改めて実感した。 先日のエントリーでも触れたように、音楽や映像の領域はいま大きく変化しつつある。特に、デジタル化・ネットーク化の恩恵を一番強く受けて、ビジネスの領域そのものが大きく変わりつつあるのが現代の音楽・映像ビジネスである。音も映像も、多様なlocationやoccasionで消費されるようになったわけで、そこはある意味、時間軸や地理軸の存在がどんどんと薄れていってしまっているようにも思える。 しかし、何千年も前からずっと音楽というものは、「生」の人が奏でる「生」の演奏を「生」でその場で鑑賞するものだったわけであって、その瞬間、その場でしか味わえないlivelinessが音楽の醍醐味だったわけである。「いまここ」で生まれるliveliness。その刹那のような儚い感覚。しかし、その重みと深み。そんな当たり前だが原初的な音楽の素晴らしさを、いまさらになって感じたわけである。 いま「ユビキタス化」と呼ばれる社会のデジタル化・ネットワーク化の大きな流れのなかで、「いつでも・どこでも(anytime, anywhere)」が重要且つ価値あるものだと言われてきた。この流れは今後もどんどん進んでいくだろうし、そうしたほうが世の中の様々な領域の利便性や生産性が上がるのも間違いない。しかし、その一方で「特定の瞬間に特定の場所で(particular time, particular place)」の価値も相対的にますます大きくなってきているのも逆の真理であろう。 「いまここ」に存在することの価値。時間と場所の流動性に強く抗うことで生まれる価値もまたこの時代において重要な意味を持つ。先日京セラドーム大阪という「場」でドリカムと他の4万人の来場客とともに僕が共有することのできたあの3時間半という「時間」は、他のどんな「場」や「時間」とも代替することはできない。あのライブの映像が後にDVD化されてそれを見たとしても、あの日僕がこの体全身で体験したあの「いまここ」は、もう二度と感じることはできないのである。 そんなライブイベントの素晴らしさを、今回は本当に堪能することができた。思い切って行ってみて本当に良かった。ありがとうドリカム。この感動を胸に、明日からもまたがんばれそうです。次のDWLは2011年か。うん。また行こう。 自宅PCのiTunesから流れる「何度でも」を聴きながら♪
Category : Miscellaneous Permalink | Comments (0) September 08, 2007
『おっさんがWebを走り抜ける!?:1-click Award 2007』
今年もやってきました。リクルートMC主催のWebコミュニケーション企画コンテスト「1-click Award」。 今年はプロモーション用のブログパーツがなんともニクい。このおっさんに「カンチョー」をしてあげると、おっさんは慌てふためきながらこのブログバーツが貼ってあるいろんなサイトを走り抜けていく。こんな小ネタにも、Webの世界の可能性や奥の深さを感じさせてくれるところがほんとニクい。 このイベントはプロ/アマ関係なくエントリーできるし、また今年は企画一本勝負の「プランニング部門」もあるので、ぜひうちの学生の皆さんも腕試しにチャレンジしてみてはいかがだろうか。 Posted by MK @ 01:09 AMCategory : E-biz news Permalink | Comments (0) |
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