|
February 10, 2008
『実践主義の経営学に向けて:冨山和彦著「会社は頭から腐る」』
この本は産業再生機構の専務取締役COOだった冨山和彦氏の渾身の著作である。冨山氏は産業再生機構のすべての案件に関わり、現場を取りまとめる総責任者であった。2003年から2007年までの約4年間、冨山氏が具に見てきた経営の「修羅場」が、圧倒的なリアリティをもって描かれている。 この本は発刊から既に半年以上経っているので、既に読んだ人も多いと思う。僕も冨山氏の名前は当然知っていたし、この本の存在も知っていた。が、手が伸びなかったのである。僕はこの手の良く言えばキャッチー、悪く言えば趣味の悪いタイトルの本が嫌いで、「どうせコンサルタントの自慢話に毛が生えたエッセイ本だろう」と勝手に思い込んでいたのである。 しかし先日、ふと立ち寄った本屋でこの本を目にして、「ああ、あの本か」と思いつつ、何の気無しに手に取ってペラペラと読み始めてみたら、なんと一気に引き込まれてしまい、速攻レジに持っていった。普段ならハードカバーの本でも1時間もかけずに読んでしまうのだが、なぜかこの本はそうしてはいけない何かを感じ、自然にゆっくりゆっくりと読み込んでしまう自分がいた。
この本にはいくつもの印象的なフレーズがある。 「人も組織も、インセンティブと性格の奴隷である」 この本には「再生の修羅場からの提言」というサブタイトルが付けられている。まさにこの一言に尽きる。産業再生機構でカネボウやダイエーなど計41社の再生支援案件の「修羅場」を生き抜いていた冨山氏の言葉には、教科書的な経営理論などまったく空虚なものにしてしまう冷徹なまでのリアリティがある。 この本を読んで改めて思ったのは、経営学という学問分野にいる研究者の仕事は、本当にリアルな経営のリアルな現場で役に立っているのだろうか、ということである。 経営学には、数多くの「理論」と呼ばれるものがある。現代の社会科学において主流である論理実証主義(Positivism)に基づいて正当化(Justification)された概念枠組みである。それらのなかでも、実際の経営に対して多くの示唆や知見を与える有名な理論もある。 しかし、これらの経営理論はすべて「後付けの理屈」にしか過ぎない。現場の経営者やマネージャー達が自分や自らの組織を生き延びさせるために、日々悪戦苦闘しながら、手探りの試行錯誤のなかで見つけてきた「修羅場」を生き抜く術を、後から可能な限り客観的な視点と手法で調べて分析し、他の多くの人にも理解可能・実行可能なかたちに「言語化」する作業が経営学者の仕事である。その意味において、経営学者とは歴史家であり、翻訳家でもあるとも言える。 ただ、そうした経営学者の仕事やその成果物としての経営理論が、いま本当に実際の経営の現場にいかほどに役に立っているのかと問えば、大きな疑問符が目の前に立ちはだかるのである。特に、経営の危機に瀕し、いままさに生きるか死ぬかの瀬戸際にある企業に対して、現代の経営理論がどれほど手助けになっているのだろうか。 企業再生の「修羅場」をくぐり抜けてきた冨山氏が語る経営学や経営哲学は、驚くほどにシンプルである。「戦略とは仮説であり、実行のなかで検証し、絶えずフィードバックを繰り返しながら修正をしていく」というものだ。 「経営という社会科学の世界は、実験室で実験して効果を証明することができない。どれだけシミュレーション技術が発達しても、人間が介在する行為を完全に予測することはできない。そのため戦略の有効性を検証する唯一の方法は、実行してみることだ。実際にやってみるしかない。だから戦略が重要になるのである。戦略は正解を用意してくれるものではなく、あくまで仮説である。この仮説があるからこそ、正しい検証が可能となる。仮説なき実行は、宝くじを引くようなもので、当たるか外れるかは運次第となる。そしてほとんどの場合、宝くじのごとく当たらない。これでいいのなら誰でも経営ができてしまう。どのくらい精緻でかつ検証に有効な戦略仮説が立てられるかが、すなわち経営である。 冨山氏曰く、戦略はこれ以上でもないし、これ以下でもない。だからこそ、この戦略を実行する「人」が極めて大事なのだと説く。 「経営はとにかく人である。人の動きがすべてである。人の行動を支配している動機づけやその人の人間性と、組織として追求しなくてはならない目的や戦略とが同期するとき、両者は最小限の葛藤で最大限の力を発揮する。より多くの割合でこの同期が達成されれば、その組織はより大きな力を集団として発揮する。これができれば経営者自身も含めて個々には弱い人間の集まりを、企業体として極めて強力な戦闘集団として昇華させることが可能となる。しかもそれを市場や競争、技術革新、規制といった環境要因の変化に対応しながら持続的に行わなければならない。これがマネジメントなのだ。(中略) こうした主張は当たり前のことをただ繰り返しているだけかもしれない。しかし、自らもトップとして企業経営の経験があり、尚且つ企業再生の「修羅場」で繰り返し自分の経営理論を検証してきた人の言葉には有無を言わせぬ重みがある。 僕も含め、経営学という領域で研究や教育の仕事に従事している人間のうち、どれほどがこの冨山氏の言葉のような重みをもって経営理論や経営哲学を述べ、且つそれを必要とする人に届けられているのだろうか。自らを偏狭な学問領域に閉じ込め、偏狭なアカデミアの内側での評価にばかり気を取られるような経営学とは、いったい誰のための学問なのだろうか。 そんな自己否定に近い思いを、この本を読んで強く持ったわけなのである。 敢えて批判を覚悟で言わせてもらえれば、経営のリアリティ、特に、人の暖かさと冷たさ、強さと弱さ、深さと浅さ、そうしたアンビバレントな人間のリアリティに根ざさない経営理論など、空虚な屁理屈でしかない。理屈はいくらでも頭に入れることができる。しかし、それが実際に使えなければ屁理屈でしかないのである。 では、そのような実践主義(Pragmatic)の経営理論とは、はたして構築可能なのだろうか。もし可能だとすれば、どのようにすれば構築できるのだろうか。残念ながら、今の僕には十分に答える力も経験もない。ただ、これまでずっと探してきたし、これからも探し続けていきたいと思っている。 この冨山氏の本を読んで、こうした僕自身の経営に対する興味や、経営学に対する関心や、仕事に対する動機などを、改めて思い直すことができた。できることなら、もっと早く読んでおくべきだったと悔やむばかりである。 出版社の方々、お願いですから、こういった中身のある本に砕け過ぎたタイトルは付けないようにしてください。手に取るのが遅れてしまいます(笑)。 この本、ビジネスマンはもとより、いま経営学を勉強している学生や企業経営に興味がある学生たちにぜひ読んでもらいたい。安っぽいハウツー本や就活本を読むより100倍勉強になると思います。
Permalink | Comments (2) June 25, 2007
『ネット上のサービスの行き着く先は無料モデルか?』
KGの先輩であり、いまやネット業界の有名人となったタカヒロノリヒコさんのところからのネタパクリ。 「ネット上のサービスの行き着く先は無料モデル」 from mediologic.com インターネット上のサービスというのは、最終的には広告ビジネスに行き着く、というのが僕の持論。 いや、そうは思わない。タカヒロさんの慧眼にはいつも学ばさせることばかりなのだが、この点に関しては恐らくタカヒロさんと僕の意見の一番の相違点ではないかと思う。議論のために尊敬する先輩に敢えて噛み付いてみたい。 ここでタカヒロさんが、「ネット上のサービスの行き着く先は無料モデル」と言いつつも、全てのネットサービスが広告ベースの無料ビジネスになると言っているのではないことは百も承知である。ただ、「最終的には・・・」という表現は、ネットサービスのビジネスモデルのある種の理想型が思い描かれているのではないかと推察する。 あらゆるものが“無料”ないしはそれに近いプライシングで提供されなければ、使う人が集まらない世界なので。そのため、monetizationには広告モデルが欠かせない。 ここで、「無料」と「それに近いプライシング」との間には、理論的にも現実的にも極めて大きな隔たりがある。 消費者は、何らかの商品やサービスに対して、幾分かの価値を感じ取って、それに対して納得し得る対価を支払う。多くの場合、それは金銭の支払いによってなされる。この消費者の価値判断のフィルターを通じて、商品/サービスの淘汰が行われ、それに応じて商品/サービスの提供者の開発・改善努力が促され、結果的に「より良い(better)」な商品/サービスがより多く世の中に流通するであろうというのが、古典的な市場経済の考え方である。 ここでの価格設定において、商品/サービス提供者としては、できるだけ自分の売物を高い値段で売りたいのだが、高く設定し過ぎると消費者には受け入れられない(超過供給)。逆に、安い値段に設定すれば、お客さんはたくさん集まるかもしれないが、それに応じた供給量を確保できなくなる(超過需要)。特に後者のケースは、商品/サービスの製造コストや流通コストの面で、やりたくても低価格を実現することは難しかったわけである。 しかし、いまこの情報ネットワーク社会のなかで起きているのは、この商品/サービスの流通コストが劇的に下がったということである。端的に言えば、ネットを通じてこれまでに無い範囲で潜在顧客にリーチできるようになったことで、価格を下げることが可能になった。さらに、商品/サービスがデジタル化すれば、商品/サービスの製造(複製)コストがゼロに近づくことも、商品/サービスの価格低下をさらに後押しする。 これがまさに「ネットワーク経済」であり「ロングテール現象」である。ひとつひとつの商品/サービスからは大きな売上が上がらなかったとしても、ネットを通じて大量の潜在顧客にリーチさえすれば、結果的には大きな売上になる。まさに、塵も積もれば山となるである。 ただ、ここで押さえておきたいのは、ロングテール化された経済において、商品が「無料」になったわけではないということである。たとえ10円だろうが100円だろうが、顧客は当該商品/サービスに価値を感じ取って支払い行為をしているわけである。 翻って広告モデルによる「無料経済」では、商品/サービスの便益を受け取る顧客が支払い行為をしなくなる。つまり、商品/サービスの便益の受益者が、その商品/サービスの開発/製造/流通/保守などの様々なコストをまったく負担しなくなるわけである。ここには、大きな経済の「外部性」が発生する。 この広告モデルは、20世紀の経済において最も重要な「発明」のひとつだと思っている。その重要性の高さを知るには、「もし広告が無かったら?」という仮想質問を考えれば十分である。この意味において、僕は現代社会における広告の重要性は十分以上に認識しているつもりである。 だがその一方で、この21世紀の現代経済のなかで、広告モデルにより支えられている領域が極めて限定的であることも認識する必要がある。2006年度の日本の名目GDPは約510兆円(速報値)、2006年の総広告費は約6兆円(電通調べ[PDF])。単純な比較はできない数字だが、それでも、事業運営の一部もしくは全体が広告収入によって支えられている経済は、全体の1パーセント程度でしかない事実は揺るがないだろう。 こうした商品/サービスの提供者と利用者の間に直接的な経済活動(支払い行為)が介在しない領域には、負の経済外部性(外部不経済)が発生しやすい。市場メカニズムによって劣悪な商品/サービスが淘汰されないからだ。 無料ビジネスの最たるものである民放テレビビジネスは、視聴者が支払い行為を行わずに番組を見られるために、視聴者の価値判断が商品(番組)の設計や開発に反映されにくい。視聴者の評価は、「視聴率」で計れるではないかと思うかもしれないが、この「視聴率」データは極めて不透明かつ独占的に決定されており、またタイムシフト視聴がここまで広がってきた今、そのデータとしての有用性に大きな疑問がある。少なくとも現在の民放テレビの「金太郎飴状態」を鑑みれば、この「視聴率」制度が優良な番組の選抜と劣悪な番組の退出を促すようにうまく機能しているかと言えば、否と答える人がほとんどではないだろうか。 話は戻って、タカヒロさんが引用した元ネタである無料音楽ダウンロードサービスの勃興についてだが、新規(alternative)のサービスが登場しつつあるという意味では歓迎する。しかし、ネット上の音楽配信ビジネスが軒並み無料サービスの方向に進むとは思えないし、進むべきではないと僕は考える。 この音楽サービスの支払い行為問題について、随分前に書いたことを今ふと思い出した。AppleのiTMSがサービスインした直後の2003年5月に書いたブログエントリーだ。ちなみに、この頃の僕のブログには各エントリーにタイトルさえない(笑)。 前置きが長くなってしまったが、今回のAppleの音楽販売サービスの話だが、ネット上における音楽データ流通に、できるだけ多くの人が参加できるように支払い行為を介在させようとする試みを本格的に始めたという意味で、僕は支持したい。 僕の基本的スタンスはこの頃からほとんど変わっていないようだ。違法な無料音楽ダウンロードが跋扈していたこの頃に、1曲99セントという価格設定で消費者に対価を「支払わせる」仕組みを提供したAppleのこの戦略は、この後大成功を収めたのは言うまでもない。Amazon.comと並んでロングテール現象の代名詞となったこのサービスは、今ではアメリカで第3位の音楽販売業者にまで成長した。デジタルコンテンツに対する対価の「支払い行為」を単純化・簡便化・顕在化させたことにより、(Mの取れた)iTSはこれまでネット経済だけでなく、リアル経済までも大いに活性化させたのである。 僕もこのiTSの事例ひとつだけで、ネットサービスの無料化の進展を全否定しようとしているわけではない。また、正直なところ、ネットサービスの無料化は今以上に多方面で広がっていくと思っている。 しかしながら、敢えてネットサービスの「最終型」を考えるのであれば、広告ベースの無料モデルではなく、超少額決済型のオンデマンド・モデルを描きたい。無料モデルは、所謂「公共財的な側面」の強い大手ポータルや検索サービスに留まるのではないか。しかし、そうしたポータルや検索サービスですら、公共財の定義である「非排除性」と「非競合性」を今後十分に担保できなくなってくるだろうから、ずっと先には無料サービスで無くなる可能性もある。 もちろん話はバランスの問題だってことは百も承知だ。有料モデルと無料モデル、その共存が一番現実に近いってことも分かっている。しかし、誤解を恐れずに言えば、いまネットの世界に必要なのは、ネット上の無料モデルを「当たり前」と思い過ぎずに、有益な商品/サービスに適切な対価を支払うという基本姿勢を思い返すことではないかと思っている。そうすることが、結果的には健全なネット社会ひいてはリアル社会の発展に繋がるのではないかと思っている。 最後は根拠のない完全な個人的思想になってしまった。まあ、これも僕の持論か。タカヒロさんともしばらく会ってないので、ぜひ今度お互いの持論についていろいろ議論してみたい。超多忙なタカヒロさんの時間をもらえれば(笑)。 Posted by MK @ 06:33 PMPermalink | Comments (2) March 30, 2007
『ETech 2007(かなりいい加減な)現地報告』
さあ、やって参りました。アメリカ・サンディエゴ。先日の宣言を盾に取って、この年度末の忙しい時期に無理して参加するO'Reilly Emerging Technology Conference、通称ETech 2007。このメモは最終日(3/29)に書いている。所用で今日のランチ後すぐに会場を離れなければならないので、その前に自分のためにも勝手気侭にメモを残しておこうと思う。
「Emerging Technology」というぐらいだから、ここにくれば「次のウェブ技術のトレンド」が見えていると思っていたのが、技術のコアなところはあまり詳しくない僕ですら、ほとんど知っていることばかりだったからだ。 今回、Zimbra、Yahoo! Pipes、Adobe Apollo、Amazon Web Servicesなどのプレゼンやデモがあったのだが、これらは日本でも前から注目されていて、いろんなブログで既に詳しくレビューもされている。正直、これらをいま「Emerging Technology」だと言われても「なんだかなぁ」という感じ。この辺の時差はアメリカと日本では本当に無くなったなぁと実感。
Web2.0の提唱者であるTim O'Reillyのキーノートスピーチも、もっとスゴいこと喋るのかと思っていたら、全然キレがない。初日(3/26)にTimとその周辺の業界リーダーたちが最近のウェブ周りの動向を丸一日延々と語る「O'Reilly Radar Executive Briefing」というものにも参加したのだが、脈絡無くずっと業界人のユルい世間話が続くばかり(といったら言い過ぎかな)。
そして、批判を覚悟で言えば、こんな内容がネット業界リーダーたちの最先端の内容なら、Web2.0なんて、本当に完全に終わったと思う。それこそTimが仕掛けた壮大なMagicだったのかもしれない。 本当に技術開発の最先端を知りたければ、ACMやIEEEが主催する学術系のカンファレンスに行ったほうが絶対良いと思う。去年僕も参加したICSE (International Conference on Software Engineering)のほうが新しい発見がいくつもあった。 こちらで出会った何人か日本人の人たちとも話したのだけど、みんなあんまり満足していないようだった。いまはO'Reilly のカンファレンスは、ETechだけでなく、Web2.0 ExpoやWhere 2.0などに細分化してしまっているから、相対的にETechの面白さが減ってしまっているのかも、と言っている人もいた。たしかにそうかも知れない。
そうはいってもやっぱり新しい発見はいくつかあったわけで、実際に聞いたプレゼンのなかから以下に気になった点を取り留めも無くちょっとだけメモっておきたい(あとでまた修正するかも)。詳しいことは、こちらで出会った「たたみラボ」の方々のブログで上がっているみたいなので、そちらを参照して頂きたい。 というわけで、そろそろ現地を発つ時間。日本に戻ったらまた仕事が山盛りで待ってます・・・。 【写真追加 4/2】 ++++++++++ 〈以下、いくつか修正済み〉 Threadless.com Metaweb: The Semantic Web Meets Web 2.0 O'Reilly Radar: Tim O'Reilly's Keynote Speech Creating Alternate Realities Digital Disney: the Mainstreaming of Web 2.0 Successful Open Communities on the Internet The Myths of Innovation The Core of Fun Big Company Hacks at Yahoo! A Manifesto for Web Innovation? 1/2 Baked Lessons Learned in Scaling and Building Social Systems Permalink | Comments (2) September 11, 2006
『マイクロソフトのLive戦略の行方』
先週金曜日は、同志社ビジネススクール教授の北寿郎氏が新たにスタートさせた研究会「イノベートビジネス研究会」のキックオフセミナーに参加してきた。 こういったネットビジネス関連の研究会や勉強会は東京ではいろんな方々が主催して頻繁に開催されているが、こちら関西ではそういった機会は本当に少ない。この部分が、関西をベースに仕事をしていて一番悔しい思いをするところである。東京ではこうした研究会や勉強会を通じて、ネットビジネス界の人的ネットワークを下支えしていたりするが、こちら関西ではこの横のネットワークが極めて貧弱である。こうしたなか、新たに京都で研究会をスタートさせる北氏の心意気には本当に頭が下がる。 さて、今回のキックオフセミナーのゲストはお二方。一人は、マイクロソフトのオンラインサービス事業部事業部長である塚本良江氏。もう一人は、野村総研の上席研究員である山崎秀夫氏である(尚、山崎氏はあくまで個人の立場でのご発表だった)。ちなみに当日の様子はこんな感じ。 山崎氏の「Web2.0(コモンズ、エクスペリエンス、集合知)と経験マーケティング」と題されたご発表も大変刺激的で面白かったのだが(刺激的過ぎてここには書けないくらい)、僕自身の研究との関連から、今回はMSの塚本氏のご発表の内容についていくつか気付いた点を書いておこうと思う。 塚本氏は、MS日本法人のオンラインサービス事業部門(旧MSN事業部)の責任者である。ということで、当然ながらご発表のタイトルは「Windows Live & Live Strategy」。昨年末に発表し、この秋から大々的にスタートさせようとしているMSのネットサービス戦略についてである。以前からぜひお会いしてお話を聞かせて頂きたいと思っていた方のプレゼンなので、過剰とも言える期待(笑)とともにプレゼンに聞き入った。ちなみに、塚本氏は小柄でとってもチャーミングな感じの女性で、外資系企業の役員とも思えないとても柔らかい印象の方だった。 塚本氏によると、MSのLive戦略の要諦は二つ。一つは「ソフトウェア+サービス」。もう一つは「広告ビジネスモデル」である。前者は、これまでのパッケージソフトのライセンス販売だけでなく、ネットを介したサービス提供をビジネスの大きな柱にしていくということ。そして後者は、前者を支える収益モデルとして、これまであまり注力されてこなかった広告のビジネスモデルを明確に構築していくということである。 いずれも、既にこれまで様々なメディアによって報じられてきた内容だが、MSの中の人からこのことを生で聞くとやはり感慨深いものがある。ソフトウェアビジネスはこれまでパッケージ販売収入がメインだったが、今後はソフトウェアの更新や保守などによるサービス収入が大きな割合を占め、いずれは逆転する傾向にあるということをMichael Cusumanoは実証的に分析したが、彼の分析はあくまでもエンタープライズ系ソフトに限ったもので、Office系の一般コンシューマ向けソフトの話ではなかった。しかし、この「ソフトウェアビジネスのサービス化("Servicization" of software business)」の流れは、今後はエンタープライズ領域だけでなく一般コンシューマ領域で間違いなく進んでいくと思われるが、問題は「いつごろ、どれくらいのスピードで」という点だ。 塚本氏のプレゼンは、MSのLive戦略のなかでも個人向けポータルサービスである「Windows Live」のことにほとんどの時間が割かれ、Live戦略のもう一つの軸である中小企業向けツールサービスの「Office Live」のことはほとんど触れられなかった。しかし、MSが「Office Live」を導入と展開を本格的に進めれば、当然のように現状のOffice系ソフトのライセンス販売は下方圧力を受ける。MSの現在の売上構成をざっくり言えば、OS:3割、Office系ソフトウェア:3割、サーバー:2割、その他:2割という感じなのだが(2005年アニュアルレポートから)、この売上の3割を占めるOffice系ソフト部門(MSの用語では"Information Worker"領域)がLive戦略の展開によって直接的なダメージを受ける可能性が高いのである。 こうした既存事業と新規事業のカニバリゼーションは避けられない所与のものしてMSが考えていることは当然だが、気になるのは、今後のソフトウェアのライセンス販売収入と広告をベースにしたサービス収入のバランスをどのようにシミュレートしているかということだ。 この日の塚本氏のご発表の質疑応答の時間に、この今後の売上構成の見通しについて質問した方がいたが、塚本氏は「さすがにそれは言えない」とのことだった。まあ、これは全社的な方向性の問題なので、一事業部門の責任者の立場としてはノーコメントも仕方がないだろうなと思う。ただ、前掲のSteve Ballmerの発表では、Live戦略の展開による広告収入を80〜100億ドル程度に大きくさせるとあったが、これは今のOffice系ソフトやサーバーの売上と同程度の事業にまで膨らませるということである。これによるOffice事業含め他の部門に対する影響(シナジーとカニバリの双方)をどの程度見積もっているのか、大変興味があるところである。 あと、今回のご発表で一番詳しく説明されていた「Windows Live」についても少し書いておきたい。要は、パーソナライズできる個人用ポータルなわけだが、いま提供されているベータサービスは僕はまだ使ったことがなかったので、今回初めて実際に動くところを見た。まあいわゆるひとつの流行りのAjaxってやつである。 が、正直あまり新鮮味はなかった。自分用のポータルを作るパーツとしては、ニュースやカレンダーやメールなど、どれも毎日使っているものなので、それがボータルとして新規性を出そうとすれば、よほど画期的なユーザーインターフェースがない限り、「こりゃスゲー!!」みたいなことにはならない。また、残念ながらAjaxを使った個人向けポータルインターフェースはGoogleのパーソナライズドホームページが実現してしまっている。後追いがもたらすユーザー側のインパクトは驚くほど小さい。 もちろん新規の機能がないわけではなく、ひとつ上げれば、このポータルサービスにはタブ機能があって、いくつもの自分用ポータル画面を用意できて(例えば、仕事用と自宅用とか)、それらを簡単に切り替えられるとのことだったが、複数のポータルを持ちたいというユーザーニーズがどれくらいあるのか不明だ。 当日質疑応答のときに僕も直接塚本氏に質問させてもらったのだが、僕の疑問は「このようなポータルのカスタマイザビリティをどれくらいの割合のユーザーが欲しているのだろうか」というものだった。 ここはこの「Windows Live」ポータルのユーザーターゲティングが問題になる。Live戦略のユーザーターゲティングの基本コンセプトは「User in Control」というものだそうだ。塚本氏も「日本語でなんと訳せばよいのか分からない」とおっしゃっていたが、ユーザーが自分のネット上のエクスペリエンスを自由に管理・編集できるようにするということだろう。無理に訳せば「ユーザーに力を!!」みたいに感じかな。 MS自身の調査では、このようなニーズを持つような先進的なインターネットユーザー(MSではこのユーザー層を"Internet optimizer"と呼んでいるそうだ)は2割程度いるとして、Liveサービスはこの層をターゲットにしているとのことだ。しかし、言い方を変えれば、2割程度のネットユーザー層しかこのポータルサービスは狙っていないということになる。このターゲティングで現在のOffice系ソフトでの売上に匹敵するような(100億ドル程度の)広告収益を生み出すような事業に仕立てていくことは本当にできるのだろうか。 当たり前だが、ポータルビジネスはスケールメリットが大きい。多くのユーザーに使ってもらうことで、多くのトラフィックを生み出し、それを基にして広告媒体として価値を上げていき、広告主から広告料を頂くという仕組みがある以上、マスユーザーを狙わないポータルとはどのようなものなのかイメージがなかなか掴めない。実際ここがMSとしても難しいところであるという認識があるが故に、現行のMSNポータルも今後も継続して運営していき、Windows Liveポータルと併存させていくという方針をとらざるを得ない状況にある。 ただ、Windows Live単体でMSのLive戦略のすべてを判断してはいけないのだろう。結局のところ、MSの競争優位は間違いなくOSのプラットフォームをほぼ独占的に支配していることである。今年末に予定されていたWindows OSの次期バージョン「Windows Vista」のリリースは来年にずれ込むことは確実なようだが、MSのLive戦略の本質は、やはりこの新しいOSとどのようにインテグレートしたユーザーエクスペリエンスを提供しようとしているのかという点で見ないといけない。現時点ではこの次期OSとLiveサービスとのインテグレーションの全貌はほとんど明らかにされていないが、MSがここをテコにしないはずがないと思うし、そうしなければMSの強みはまったくと言って良いほど活かされない。 MSの強みは「あちら側」に行き切ってしまわない点、すなわち「こちら側」への確実な接点を確保しているという点にある。OSは我々のネット上のエクスペリエンスにおいて「あちら側」と「こちら側」の世界を繋いでくれている結節点—僕の言葉で言うところの「ゲート」—に他ならない。この「ゲート」を独占的にキープしていることがMSの一番の強みであることは明らかで、今後展開されるLive戦略でもこの強みを活かすように設計されるはずだし、僕らユーザーもそこに一番期待するのは当然である。 塚本氏も質疑応答のなかで、「MSがパッケージソフトのライセンスビジネスから手を引くことはあり得ない」とおっしゃっていた。Live戦略の展開でネットサービスを基にした広告収入を新たな収益の柱にしていくとのことだが、これはMSの既存ビジネス、特にソフトウェアのライセンスビジネスから手を引くということでは決してない。 いま僕らに見えているLive戦略の姿は、GoogleやYahoo!が展開する無料ネットサービスに対する一種の「防衛戦略」であり、言い方は悪いかもしれないが「とりあえず手を打っておく」程度の意味合いしかないのかもしれない。今はそれでも良い。本当の意味でのMSの将来戦略は、このLiveサービスと既存のOSやソフトウェアの事業をインテグレートさせていく先に、新たなユーザーエクスペリエンスの世界を見せてくれるかにかかっている。 Bill Gatesに代わって新たにMSのソフトウェア開発の統括責任者Chief Software ArchitectとなったRay Ozzieは、昨年末に今後のMSのソフトウェア開発の方向性を「インターネットサービスの破壊力(The Internet Services Disruption)」というタイトルの長い社内向けメモで示した。このメモで示されたような彼のネットサービスのイメージがいまのLive戦略にどの程度反映されているかは分からない。ただ、これまでの開発期間から推察するに、まだまだ部分的なものにしか過ぎないのではないかと思う。 ということは、Rayの本領が発揮されるのは、やはりWindows Vistaがリリースされる来年以降のLiveサービスではないかと思う。大いに期待したい。 【追記 9/14】 ●「Live.jp」はRSSとガジェットで理想のポータルサイトに - INTERNET Watch Posted by MK @ 12:47 AMPermalink | Comments (0) May 28, 2006
『刺激と喧噪の街、上海。』
5/19から5/22まで、上海に行ってきた。観光で、と言いたいところだが、もちろん仕事でである。International Conference on Software Engineeringという学会で論文発表するための出張である。 この学会は、その名の通りソフトウェア工学の分野における世界最大の学会なのだが、僕は今回初めて参加したのだが、結構僕的には「越境」した感がある。と言うのも、僕の専門分野である情報システム論(または経営情報システム論)は、このソフトウェア工学の領域と隣接しているのだが、実はこの両分野間の研究の交流はこれまで皆無に等しいからだ。 情報システム論のなかでソフトウェアのことを扱った研究は多いし、また同様にソフトウェア工学の領域で情報システムのことを扱った研究も少なくない。なのに、この両分野の断絶は深刻である。いま僕はソフトウェア・ビジネスに関する研究を進めているのだが、この両研究分野の断絶は非常に辛い。ある研究や文献は情報システム論の領域に、また別の研究や文献はソフトウェア工学の領域に、という感じで、関連深い既存研究が両分野にまたがって存在しているからだ。また、自分のなかの研究アイディアをどちらの研究コミュニティに向かって投げかければ良いのか、これもまた悩みどころである。 しかし、僕みたいにこの断絶を不可解に思う研究者は当然ほかにもいるわけで、今回僕が参加したワークショップ、WISER (2nd International Workshop on Interdisciplinary Software Engineering Research)は、まさに学際的な視座からソフトウェアを扱おうとする研究者が集まる場であった。僕は、いま進めているソフトウェア開発戦略の研究についての発表をしたのだが、かなりビジネス寄りの話をしたにもかかわらず、それなりに好意的に受け入れられたようで、発表後もいろんな人からいろんな意見や助言を頂いた。特に、その日ずっと隣に座っていたDr. Yunwen Yeとはいろんな話をさせてもらった。 実を言うと、僕はこれまで国内ですらソフトウェア工学のコミュニティに一度も参加したことがなかったので、ソフトウェア工学の人たちに自分の研究がどのように受け入れられるか正直かなりドキドキしていた。しかし、少なくとも僕の研究に関心を持ってくれる人がソフトウェア工学の分野にも存在することが分かっただけでも、今回参加して本当に良かったと思う。 さて、研究の話はこれぐらいにして、今回訪れた上海という街についても少し書いておきたい。実は僕は上海どころか、中国そのものが今回初めてだった。というか、日本以外のアジアの国に行ったことすらなかった。こんなアジア超初心者の僕には、上海という街は刺激が強すぎた。 一つ目は言葉の問題。なにせ英語がまったく通じないのだ。空港ぐらいはなんとか通じるだろうと思っていた僕が甘かった。なんとかタクシー乗り場を見つけ、乗り込んでみたものの、運転手がこれまた英語がまったく通じない。ホテルまでの行き方が書いてある英語の地図を見せてもまったく読めない(というか読んでくれない)。なんとか漢字の住所を見せてようやく行き先を分かってもらう。上海で一番有名なホテルのうちの一つを予約しておいて本当に良かった。 二つ目は車の運転の激しさ。ようやく行き先を理解してもらって走り始めたタクシーが飛ばす飛ばす。アクション映画のワンシーンかと思うほど車の間を大胆にすり抜ける運転手のテクに脱帽。さらに市街地に入ると、今度はクラクションの連打。ちょっとでも近寄ってくる車や前でつかえている車があるとすぐにクラクションを鳴らす。なので、ハンドルを握る手の親指は常にクラクションの上に載せてある。恐るべし。これがこのタクシーだけが特別なのではなく、路上のすべての車がクラクション連打しまくりなのだ。上海では車のクラクションはもはや挨拶程度の意味しかないらしい。 三つ目は、そんな激しい運転の車にまったく負けていない歩行者の度胸。上海の道路には、かなり道幅の広く車の交通量も多いところの横断歩道でも歩行者用の信号がついていないところが多い。そうなると歩行者はタイミングを見計らって気合いでエイヤっと渡るほかないのだが、それでも迫り来る車に激しくクラクションを鳴らされる。ここで日本人の感覚では完全にビビってしまうのだが、上海の人は眉ひとつ動かさず、悪びれもせずに堂々と渡っていくのだ。あの度胸は賞賛するほかない。 四つ目は、高層ビルの工事ラッシュ。香港に追いつけ追い越せで、近年急速に都市開発が進む上海だが、超高層のビルやホテルが所狭しと連なっている。さらに、いま建設中のところも至る所にある。上海市のGDP成長率は92年からずっと二桁成長を続けてきているが、2004年は13.6%と近年で最高の伸びとなっている。これまで数字でしか理解していなかったGDP成長率二桁という街の現実を目の当たりにすると、なんとも言えない刺激と圧迫を受ける。 まだまだ他にもいろんな感想を書けるのだが、このへんにしておこう。少々ネガティブな印象を述べてしまったかも知れないが、全体的にはとても楽しい滞在だった。特にご飯に関しては、上海通の同僚の先生に事前においしいレストランを聞いていったので、どこもハズレなくとても美味しい食事を毎晩頂けた。また日本からたった2時間で行けて時差も1時間しかないので、その点ではとても体に楽な出張だった。 ただ、なにせ今回は初めてづくしの上海出張だったので、多少面食らってしまっただけなのだと思う。今度はぜひ北京や香港にも行ってみたい。けど・・・、上海はもういいかな(小声)。 Posted by MK @ 11:51 PMPermalink | Comments (0) February 28, 2006
『束の間のシーズン』
先日久しぶりに昔の職場に顔を出したときに、当時の上司に「お前、ブログ書いてんだって?」と聞かれて、「ハイ、ただし月1~2回しか更新してないんですけど・・・」と答えると、「お前、それブログって言わねーだろ」と素で突っ込まれて、まったくその通りだと納得してしまった今日この頃。そのブログも、今日書かないと2月はエントリー無しの月になってしまうので、とにかく何か書いてみる。そんないい加減なブログで本当に申し訳ない。 そんなバタバタした毎日だが、それもそのはず。今は1年のなかで研究に専念できる貴重な時期だからだ。1年を通じて、自分の研究に集中的に時間と労力を投入できるのは、8~9月と2月中旬~3月中旬の計3ヶ月だけである。平たくいえば、学生の休みの期間(夏休みと春休み)が大学研究者としてのあまりに短い束の間のシーズンなのである。いまこの時期に研究をせずにいつするのか、というわけで僕も可能な限りの予定をいま詰め込んでいる。 先週は週末まで東京に滞在して、いくつかの企業訪問とネット業界関係者に対するヒアリングに行ってきた。これまでも少なくとも2ヶ月に一度は東京に出かけて情報収集と業界ネットワーキングを続けてきているが、こういったビジネスの最前線にいる方々とお話をするときが、実は一番ドキドキ・ワクワクする瞬間である。 今回もたくさんの方々にお会いしてきたが、それに合わせて2つのイベントにも参加してきた。 ●世界情報通信サミット まず2/23に東京国際フォーラムで開催された「世界情報通信サミット2006」に打ち合わせの合間をぬって行ってきた。テーマは「デジタル・ワークモデル」。これは僕が留学時代がやっているテーマなので、やっぱり気になって見に行ってみることにした。 キーノートスピーチは、このブログを以前から読んでくれている人にはお馴染みMITのトーマス・マローン教授。一昨年「フューチャー・オブ・ワーク」という本を出して、日本でも彼の名は一気に広まった。僕も英語原本の書評をいち早くこのブログに載せて紹介した。彼に会うのは去年8月に米クリーブランドであったカンファレンス以来だ。けど、今回は彼も忙しそうで声をかけられなかったのは残念。 相変わらず彼のスピーチは「Are you happy?」から始まった。まだこれやってんだ、なんて苦笑しながら聞き流す。内容はもう既にぜんぶ知っている話ばかり。けど、やっぱり彼のプレゼンは余裕があってゆったりしていて、とっても聞きやすい。彼のスピーチを受けて、最初のセッションでは國領二郎氏@慶應がカウンターの問題提起をして議論を盛り上げる。「組織の分権化とフラット化が必ずしも意思決定の効率化を実現するわけではなく、ある程度の制約条件があったほうが効率的/効果的な場合もある」との指摘はまったくその通り。けど、國領氏のおかげでせっかく議論の対立軸がはっきりしたのに、その後のパネリストたちの議論が全然広がらなくてガッカリ。 ランチタイムを挟んで、午後一のセッションは、技術インフラをテーマにした議論が進んだ。このセッションは非常に面白かった。僕自身が技術のコアな領域にあまり明るくないのもあるが、それでも紹介された各事例は極めて興味深いものばかりだった。音楽・映像配信サービスのReal Networks、家庭テレビの音声・映像をケータイから視聴できるようにするサービスを提供するSling Media、日本でもかなり普及が進んでいるIP電話サービスのSkype、そして日本からはPHSで音声定額サービスを提供するウィルコム。それぞれがいま展開するサービスと今後の戦略を紹介した。特に、ウィルコム、Skype、Sling Mediaの各サービスは、既存同業プレーヤーの収益構造を粉々に砕いてしまう可能性を秘めており、そんなことを想像するだけでいろんな意味でゾクゾクしてくる。 夕方の打ち合わせが入っていたので、このセッション終了時に失礼させてもらった。この「世界情報通信サミット」は日本経済新聞社が毎年この時期に開催しているイベントだが、一昨年にも僕は参加させてもらってその時との比較になるが、今回はパネリスト同士のディスカッションが有意義なかたちではまったく盛り上がらなかったのがとても残念だった。 ●Emerging Technology 研究会 もうひとつ今回参加したイベントは、2/25に開かれたEmerging Technology研究会。今回はたまたま東京出張のスケジュールが合ったため、迷うことなく参加を決めた。今回のテーマはちょっと難しくて「サーチエコノミー/アテンションエコノミー試論」。議論の入り口としてエンタープライズサーチが取り上げられた。事例としても扱われたエンタープライズサーチのソリューション・サービス企業であるウチダスペクトラムの長尾唱氏も今回ゲストとして参加されていた。 今回のテーマは、ほんと難しかった。サーチという技術やサービスそのものはさして難しくないのだが、それが人間の認知メカニズムやメディア行動なんかのトピックが絡んでくると、いっきに議論の領域設定がぼやけてしまい、議論の対象を見失ってしまいそうになる。主催の渡辺聡氏もその点を気にされているようだったが、敢えて領域設定せずにフリーで討議を進めていくということになり、それはそれで活発な議論ができたので非常に良かったと思う。 アテンション、すなわち人間の認知は希少な資源である。デジタル化とネットワーク化により情報の流通量がいくら増えようとも、人間のアテンションは一向に増えない。そうなると、膨大な情報量を圧縮し、それを自分の意図に繋げるような工夫が必要になる。研究会での議論はアテンションを巡ってぐるぐる回ってしまい、結果的に議論の落とし所が見えないまま時間終了となってしまった。 この点については、この議論の出口はアテンションではないのではないかと思う。では、それが何かというと、アテンションから一歩進んで、そこから実際の行動に繋げようとする人間の「意図=インテンション」にあるのではないか。そんなことを前日にランチを一緒にしたタカヒロノリヒコ氏@Googleが言っていた。その通りだと思う。各種の技術やサービスで人間の情報処理能力がいくら拡大されようとも、それで得た情報が自分の目的にしっかりと合致しているかどうかはまた別問題である。それは、単に「サーチ」という概念にとどまらない、いうなれば「情報の最適化(information optimazation)」とでも言うべき機能やサービスのことを、これからもっと考えていかなければいけないのではないかと考えさせられた研究会だった。 主催の渡辺さん、参加者の皆さん、今回もとっても楽しかったです。いつもながら感謝です。 ++++++++++ これが今回東京で参加してきたイベント2本。これ以外にも今回はたくさんの人に会ってきた。しかし、ここで書き始めるとまたキリがなくなるのでやめておく。お世話になった方々、ありがとうございました。 とにかく今は自分の研究に精を出す時期。また春になって新学期が始まるまでに、やることはまだまだたくさんあるけど、そんななかでもこのブログも少なくとも週1回ぐらいは更新するようにしたいなぁ・・・。けど、ムリっぽいなぁ・・・、と既に諦めモード。そんなこのブログを今後ともよろしくお願いします。 Posted by MK @ 11:51 PMPermalink | Comments (0) December 19, 2005
『[ET研] Googleの戦略分析』
気がついたら年末。ビックリするような寒さで、各地は大雪らしい。寒さが大の苦手の僕としては毎日朝がツライ。 先週の金曜日は、4年生ゼミの卒論発表会。その後、2・3・4年生合同でゼミ忘年会。3学年ぶち抜きでやるのは初めてなので、大人数でなかなか楽しかった。しかし、2・3年生は4年生のオヤジ/オバチャン乗りに着いてこれず、大多数が一次会で脱落。その後、二次会に流れるが、次の日の早朝発の出張が気になり、1:00am前にはお先に失礼させてもらった。次の日を気にするようになるなんて、自分も歳をとったもんだ。 次の日、2時間ほど寝てから日帰りの東京出張。研究関係で一件人に会いに行くのが目的なのだが、気持ち的なメインの目的は、随分ご無沙汰してしまっている「Emerging Technology 研究会」への参加だ。今回のテーマは「Googleの戦略分析」。やっぱりなんだかんだ言ってGoogleのこのところの動きは注目せざるを得ないので、ちょうど良いタイミングの頭の整理になると思って参加させてもらった。 以前に参加させてもらった時はもうちょっとこじんまりした感じだったが、今回はテーマの注目度が高いせいか、30人ぐらいとかなり規模が大きくなっていた。その分、論点が少し発散気味だったが、活発な議論が繰り広げられて、頭の刺激としては申し分なかった。 この日の冒頭に議論の出発点として紹介されたhiguchi.comの「ブログ、グーグル、アテンション [情報の“民主”化とメディア]」のスライド(PDF版)が面白かった。ダベンポートのアテンション・エコノミー(邦訳「アテンション」)の話は、2001年(だったかな?)のHICSSであった彼のキーノートスピーチで聞いて以来、僕も事あるたびに紹介してきた。 世の中に流通する情報がどれだけ増えようとも、それを人間がすべて認知・処理・理解できるわけがなく、結局は人間の認知処理能力の限界がボトルネックになるという話は、今をもって尚極めて重要な指摘だと思う。だからこそ、限りある人間の認知能力を有効に活用するための「ナビゲーション」が重要でそこが新たなビジネス領域になるというエバンス&ウースターの90年代後半の指摘の重要性も依然変わらない。もしかすると、ネットビジネスや情報経済の僕らの議論は、その時代から一向に進んでいないのかもしれない。 その情報氾濫時代のナビゲーションへのアプローチに関して、いわゆるGYM(Google・Yahoo!・Microsoft)各社の戦略は異なるのだろう。ベースとなる検索技術の圧倒的なスケーラビリティとサービス開発・導入のスピードで勝負するGoogleは、あの白くシンプルな検索ページに多くの人が「騙されている」(藤代氏の発言から)間に、急速にYahoo!的な方向へのサービス拡充を進めてきている。 こうしたGoogleの戦略展開に求められるのは、ユーザーベースを拡大し囲い込むようなマス・マーケティングなのか、これまで通りのInnovator/Early Adopter向けのギーク・マーケティングなのか、そもそもGoogleのブランド価値とはなんなのか、誰のため/何のためのブランディングなのか、みたいな点が頭でモヤモヤしつつ、多くの方の活発な発言で、寝不足の僕の脳味噌には十分過ぎる刺激になった。 いま、この研究会に参加した方のこの日のブログエントリーをパラパラ見させてもらった(つーか、皆さんあげるの早すぎ!!)。Masa33氏の当日の発言(だったと思う)とそれをまとめたエントリーにあった「自らがサービス提供して市場を創造し、API公開してアフィリエイト経由でマスへリーチする、というのがGoogle流」というのが、僕の研究的には一番ヒットした内容だった。競争優位なリソースをどのように戦略活用するのか、そこにオープン/クローズドの視点はどのように重なるのか、またさらに、戦略展開の時間軸・スピードの視点はどのように絡んでくるのか・・・。アイディアの種をまたたくさん頂いた研究会だった。 主催の渡辺さん、運営スタッフの方々、また参加された皆さん、ありがとうございました&お疲れさまでした。 Posted by MK @ 10:54 AMPermalink | Comments (8) November 26, 2005
『現場の大切さ』
そういえば去年の今頃も強烈に忙しくて半死状態だった。ちょうどこの時期は、いろんな仕事が押し寄せてきて、僕の仕事処理能力の上限を大幅に上回る仕事を抱え込んでしまう。これがこの時期毎年恒例になりそうでコワイ。 とは言いつつも、バタバタ動いている分、収穫も大きい(と信じたい)。 11/12-13の週末は福岡での学会発表。この週末の慌しさはある意味異常。まず、土曜の早朝の飛行機で東京に飛び、10時半からパークハイアット@新宿で行われる留学時代の親友の結婚式に出席。留学先で一番親しくしていた友人なので、その彼の結婚式は外すことはできない。 しかし、羽田からのリムジンバスが渋滞で遅れ、なんと式に間に合わないという事態に(泣)。なんとか11時半からの披露宴には間に合う。しかし、14時の便で今度は学会先の福岡に飛ばなければならないので、美味しい料理もそこそこに12時半に披露宴を中座する。なんて失礼なヤツだと自分でも思うが致し方ない。そして17時に学会会場である中村学園大学に到着。この日のセッションはほとんど終わってしまっていたけど、何とか間に合ったいくつかの発表を聞いた。 そしてその晩、次の日のプレゼンに使うパワポをまったく準備してないにもかかわらず、F大学のS先生とK大学のK先生と落ち合ってご飯を食べに行く。盛り上がりすぎて、ホテルの部屋に戻ったのは午前3時。それから泣く泣くパワポの用意をし始めて、完成したのが7時半。それからシャワーを浴びて一睡もせず発表会場に向かい、9時半から本番。徹夜明けのハイテンションのまま発表したのが良かったのか、難なく終了。何人かの先生方から貴重なコメントも頂き大満足。しかし、本当に疲れた。 11/15には僕の授業にゲストスピーカーをお招きした。今回は、女性インナーメーカーのワコールのインターネット販売事業の担当者の方。現場のリアルなお話に学生(特に女性)はとても刺激を受けていたようだった。けど、その後すぐにこのサイトに対する不正アクセスにより5000人弱の顧客情報が流出するという事故が発生。今回お招きしたのは、まさにこの担当の方だったので、とってもお気の毒・・・。頑張ってください。 11/23-24は、毎年恒例になりつつある3年生ゼミの東京ツアー。今回は、サイバーエージェント、ニューズ・ツー・ユー、アイスタイルの3社にお世話になり、ゼミ生と共にお邪魔させてもらってきた。ゼミ生はもちろんのこと、僕自身にしてもとっても良い刺激をたくさん頂いた。各社の担当者の方々、いろいろと本当にありがとうございました! 上記した以外にも、この2週間ほどは学外のいろんな方とお会いする機会が多く、なかなか得がたい経験や情報を得ることができた。やはり間違いなく事件は「現場」で起きている。僕はやっぱり現場が好きなんだなぁと改めて実感した。 今週からは少し落ち着いて仕事ができそう。今年もあと残すところ1ヶ月あまり。頑張っていきませう。 Posted by MK @ 07:34 PMPermalink | Comments (3) 『ソフトウェア開発とシンプル・ルール戦略』
Web2.0に関するいくつかの考えを書きなぐったメモをここにあげて以来、なんだか随分と時間がたってしまったように感じる。ウェブ上でも、このテーマについて活発に議論が進んでおり、この議論の発信源のひとつであるTim O'Reillyの記事が邦訳されたことで、さらに怒涛の勢いで議論が発展していっている。この議論のスピードの速さにはただただ驚くばかりだ。 僕が上記のWeb2.0に関するメモを書いてから、何人かの方から詳細なコメントを頂いた。特に、渡辺聡氏から、鋭い指摘をいくつももらった。Web2.0時代の事業ポートフォリオの考え方、製品/企業ブランドの捉え方の問題、新しいメディアミックスのあり方などなど、渡辺さんの視野の広さには驚くばかり。 当初こうして頂いた質問やコメントにここで詳細にお答えするつもりだったのだが、恐らく渡辺さんのアタマのなかはとっくに先に行ってしまっているはずで、いまさら答えるのもヤボなような気がしてきた。だから、僕は僕で議論を絞って考えを膨らませて、ひとまず論文のかたちにまとめてみた。 「ソフトウェア開発とシンプル・ルール戦略」(PDFファイル) 渡辺さんからも指摘を受けたのだが、僕のメモの議論は話が発散しすぎて、いろんなことを言い過ぎていたので、ひとまずソフトウェア開発の話に議論を絞ってみた。いわば、「Web2.0時代のソフトウェア開発」といったところか。なんて偉そうに書いたけど、そんなところまでぜんぜん考察は進んでいないか・・・。まあ僕もこのテーマで研究を始めたばかりで、自分自身のアタマの整理も兼ねた「試論」として書いた論文なので、またいろいろコメント/批判頂ければ幸いです。 今回の論文は、9月にタカヒロ氏にアレンジしてもらった「グリー」の田中良和社長に対するヒアリングをもとにした簡単な事例を入れてみたが、今後また各方面へのヒアリング調査を重ねて、来年度には質問票調査を実施して、実証分析にもっていきたいと思っている。自分自身、今後の成果に期待したい。 Posted by MK @ 06:10 PMPermalink | Comments (0) November 05, 2005
『仕事の秋』
ご無沙汰してましてスミマセン。あっというまに1ヶ月近く間が空いてしまった。Web2.0関連のエントリーを書いて以来、その続編を書くと言っておきながら、そのまま放置プレー。さらには、渡辺聡氏からこのエントリーに対して詳細なコメントをもらっているのに、なんの回答もしないまま。渡辺さん、本当にゴメンナサイ・・・。 けど、けど・・・。本当に忙しいんですぅ・・・。時間は作るものなので、他の仕事の忙しさなんて言い訳でしかないのだけれど、この雑務の多さは尋常じゃありません。秋学期は学内業務が一気に増えるし、その他の業務もあわせてると、10月は毎週末仕事でつぶれてしまった。もしやと思い、いま11月の予定を見たら、今月も毎週末仕事がある・・・(鬱)。 けど、その忙しさも関係あるのか無いか分からないけど、いろんな方面で仕事が動き始めている感じがする。 これまで僕の研究は、ざっくり言えば博士論文のテーマを発展させたものだけだったが、それと同時並行で、新たに完全に新規のテーマを一本立ち上げることにした。端的に言えば、「ソフトウェア工学と経営戦略論の架橋」。いや、ほんとそのまんま。今まで理論的にも実証的にも空白地帯だったこの領域を埋めてみようかなと。今年に入ってから事前ヒアリングを各方面で繰り返してきて、ようやく本格的にスタートさせてみようと決心した。 まあ、どう転ぶかまだ全然分からないけど、とにかく新しいテーマを立ち上げるときはほんとワクワクするもの。まずは軽くアタマの整理に、一本ワーキングペーパーのようなものを書き上げたので、来週末福岡で開催する経営情報学会で発表する予定。ペーパーはまたこのサイトにも上げる予定なので、ぜひまたご意見頂ければ幸いです。 そして、昨年に引き続き、今年も「情報ネットワーク論」を開講している。扱うテーマがテーマなだけに、去年の内容ですら古くなっている箇所が多々ある。ホットなトピックを冷めないうちに扱いながらも、できるだけ骨太の議論を講義に盛り込んでいこうと鋭意努力中。そして今年も何名か実務の方がゲストスピーカーに来てくれる予定。とっても楽しみ。 あっ、そうだ。翻訳の仕事が完全に遅れていることを忘れちゃイカン。これは来春までには必ず出さないといけないんだ。これはClaudioとの約束だもの。某出版社Nさん、仕事が遅くて本当にスミマセン。年末までには頑張って仕上げます。 なんだか謝ってばかりで、ほんとスミマセン。あれ。けど、こうやって忙しく仕事が出来ているのは、ある意味本当にありがたいことだなぁとも思う。お世話になっている方々には本当に感謝感謝です。こんな仕事の遅い僕を、どうか見捨てないでやってください。よろしくお願いします。 Posted by MK @ 12:26 AMPermalink | Comments (3) September 20, 2005
『Web2.0時代の経営戦略論メモ(4)』
◆サービス・オリエンテッドの「セミ・オープン戦略」 僕のネットビジネスにおける関心は、目を見張るような先進技術で市場に殴り込みをかけるようなビジネスモデルにはなく、適度に「枯れた技術」をうまくサービス化しているサービス・オリエンテッドなビジネスモデルだ。Google Mapはその圧倒的なユーザビリティにおいて目を見張る技術だが(しかし、Google Mapも技術的にはJavaScriptという「枯れた技術」で作られているらしい)、僕が注目するのはその技術をAPIというかたちで一般のユーザーやサードパーティーが自由に活用できるインターフェースを公開したことだ。Amazon Web Serviceも然り。あの膨大な書籍DBを外部から活用できるようにしたことで、様々な書籍サービスが生まれ(例えば、はてなの伊藤CTOがつくった amazletなどはその最たる例)、結果的にAmazonはさらに書籍購入トランザクションを増やすことができる。 こうした一連のWebサービスの展開を見ていると、内部資源の単純なブラックボックス化だけがネット企業が採り得る戦略でないことを強く感じる。付加価値の高い希少な資源を内部活用するだけでなく、外部活用できるインターフェースを用意し、他のプレーヤーが利用できるサービスとして提供する。そのことが、結果的に自社の収益構造にプラスの効果をもたらす。その資源の構築に関しても、内部で秘密裏に研究開発し完成してから一気に市場導入をするという従来型の製品/サービス開発ではなく、製品/サービスそのものをユーザーと共に開発していき、そのプロセスも公開して進める。 言うなれば、ネットビジネスならではの「セミ・オープン戦略」とでもいえる戦略ではないだろうか(もしくは「セミ・クローズド戦略」でも良いが)。内部資源やビジネスプロセスが外部に対してオープンにはなっているが、完全にはオープンにはなっていない状態。コア資源はクローズドだが、ビジネスユニットのインターフェースや展開プロセスはオープンで、多様な外部プレーヤーと緩やかに疎結合している。このセミ・オープン戦略が、変化の早いネットビジネスの競争環境のなか、世の中に散在する外部資源(Web2.0風に言えば「Wisdom of crowds」)を素早く柔軟に活用し、それが「結果として」競争力の形成に繋がっている。 既に強固な経営資源を保持している企業は別だが、これから新規にネットビジネス市場に参入しようとする企業は、何かしらのレバレッジ(梃子)を効かせないと変化の速い競争環境のなかでは生き残れない。小さいスケールから始めるからこそ、内部にはない外部の資源を有効活用する仕組みが重要となる。外部に対してセミ・オープンのスタンスを取ることで、最低限の収益を確保すると同時に、成長のスピードを一気に上げる。 さらに、技術ベースで競争するのではなく、サービス領域での革新性を追及する。技術ベースの競争優位性に比べ、サービスベースの競争優位性は模倣されやすいかもしれない。しかし、既存市場で勝負するのではなく、まだ誰にも荒らされていない「ブルーオーシャン」領域を自ら創造することで、またここで外部資源を最大限に活用したシンプルな戦略を実践することにより、ネットワーク外部性をもとにした競争優位を素早く築く。こんな感じのネット特有の戦略論がありえるのではないかと感じている。 ここでの事例はやはりWebサービス、特に自社資源を外部プレーヤーの活用に繋げるAPIの公開戦略である。API公開戦略で注目を浴びているのは、やはりAmazon Web Services(AWS)やGoogle Map APIの事例だが、このことの経営戦略的意義はあまり語られてはいない。いろいろググッてみたが、目ぼしいものは見つからなかった。 一番まとまっていたのは、またまた伊藤氏@はてなCTOのこのエントリーだ。内容は、AWSの経営的意義をさらっと整理して、はてながWebサービスを積極的を活用する理由が書いてある。ポイントは、エンドユーザーに対するサービス提供と、デベロッパーに対するサービス提供、この相乗効果(このエントリーの図が分かりやすい)が、顧客ベースを急速に増やし、サービスの収益化とメディア価値の向上に繋がることだろう。 ここで伊藤氏も書いているように、APIの公開によりオープンになるのは、自社の「コア資源」ではなく、「コア機能」である。機能を公開することで、その機能を世の中の多数のユーザー(一般ユーザー+サードパーティー)に活用してもらう。しかし、その機能を支える資源(自社顧客のデータやトランザクション履歴など)は外部から完全に自由に使えるわけではない。この「資源面でクローズド、機能面でオープン」このセミ・オープン戦略が、AmazonやGoogleのような既に確固たる市場地位を獲得している巨人だけでなく、はてなのようなスタートアップ企業にとってのハイスピード成長戦略として有効である可能性を示唆している。 従来の経営戦略論は、時間軸の設定が恐ろしく緩慢で、尚且つ、競争領域の設定が極めて固定化されている。既に存在している市場のなかで、多数の競合に対して、どのような対抗戦略を実践するのか。こんな従来の戦略論フレームワークはネットビジネスにはそぐわない。 まだ市場化されていないサービス領域(クリステンセン風に言えば「サービスの非消費領域)を素早く認識し、小さな組織で外部リソースを柔軟に活用し、外部に対してセミ・オープンの姿勢を採ることで、素早く強固な顧客ベースを作り、参入障壁を構築する。こういったスピード感溢れる戦略論のフレームワークをいま頭の中で必死に整理しているところである。 ++++++++++ というわけで、極めてダラダラといまアタマのなかにある「モヤモヤ」を書いてみた。いま軽く読み返したが、あまりにまとまりが無さ過ぎて冷や汗が出てきたが、僕自身も研究者として、こうしたアイディアの萌芽は可能なかぎりオープンにして、議論を固めていくWeb2.0的なアプローチを採ってみるのも面白いかもしれないと思って、このブログに書いてみた。これが研究者としていかに危険なことも良く分かっているのだが・・・。 このシリーズの冒頭に書いたように、ご意見・ご批判などぜひコメント/フィードバック頂ければありがたい。「お前の書いてることなんて、周回遅れだぜ」という指摘も甘んじて受けます・・・。よろしくお願いします。 Posted by MK @ 07:40 PMPermalink | Comments (3) 『Web2.0時代の経営戦略論メモ(3)』
◆ネット特有の戦略論の可能性 経営戦略論には、ポーターに代表される「ポジショニング・ベース」の戦略論の流れと、バーニーに代表される「リソース・ベース」の戦略論の流れがあると言われており、この両者のあいだで近年論争が繰り広げられてきている(僕個人的には論争する理由はないと思うが)。端的に言えば、前者は企業組織の外部環境の条件や変化に着目し、後者は企業組織の内部にある競争優位の源泉となる資源に着目する。 しかし、日本のビジネスパーソンだけでなく経営学者の間でさえあまり人気のないもう一つの戦略論の流れがある。それは、アイゼンハートが提唱する「シンプル・ルール戦略」である。内容の詳細は当該論文に譲るが、「市場環境が複雑な時の戦略はシンプルがよい」というメッセージにすべてが集約されている(エッセンスはここがまとめてくれている)。この「シンプル・ルール戦略」に注目する理由は、いまいくつかのネットビジネス企業にヒアリングに行って、彼らが実践しているのがまさにこの戦略アプローチのような気がしたからだ。 先日のお話を伺った田中氏@GREEは、「戦略の視座を長くとるか短くとるかに関係なく、変化にいかに素早く柔軟に対応できるかが大切」というようなことを言われた。これは田中氏に長期の展望が無いというのではまったくなく、日々のビジネスオペレーションにおいて、長期の展望からの逆算で現在の意思決定をするよりも、日々目くるめく押し寄せる環境変化に対して、迅速且つ柔軟に対応するマインドセットと方法論が大切ということではないかと僕は勝手に解釈している。他にも何人かのネットビジネスに従事される方からも似たような返答を得た。 この「シンプル・ルール戦略」に基づくスピード感溢れる意思決定は、やもすれば短期収益至上主義に陥る危険性もある。また、「ビジョン(ミッション)→戦略→戦術」という従来型のトップダウンの戦略モデルに慣れ親しんだ人には、あまりにシンプルすぎて逆に落ち着かないところもあるだろう。しかし、1年先どころか半年先も読めないネットビジネスの世界の環境変化の速さに対応するには、複雑な戦略モデルは逆に意思決定を遅らせかねない。田中氏が言っていた「インターネット的」な経営や戦略とは、こういった経営における時間軸認識の大幅な短縮化が極めて大きな要素として考えられる。 ソフトウェア開発やサービス開発も、「インターネット的」なアプローチが求められるのだろう。開発プロセスにおいて、ネットを通じたフィードバックを積極的に受け入れていくことで、オープンソース的な開発とプロプリエタリな開発をうまく混ぜたハイブリッドな開発アプローチも可能になった。なかでも、はてなアイディアの予測市場のやり方で自社サービスに対する要望を吸い上げる仕組みは極めて興味深い。 根来龍之氏@早稲田大は、「ネット特有の戦略論は存在しない」と喝破する。しかし、はたしてそうだろうか。もちろん、ITの普及により、インフレ無き持続的成長が実現されたなどというノー天気なニューエコノミー論的な戦略論はありえない。それに、根来氏が指摘するように、「リソース・ベース」の戦略論の視点でネット企業を分析すれば、非ネット企業と同じように、バーニーが言う「VRIO」をしっかり満たして競争優位を獲得している。 ただ問題は、そうした競争優位を生み出す資源の「形成プロセス」は、ネットの世界と非ネットの世界ではまったく異なるのではないか。半年先も読めないネットビジネス市場において、「まず模倣困難な資源をつくってから、それを動かすビジネスモデルを考える」というステップを悠長に踏んでいる余裕はない。これからネットの世界に参入して生き抜いていこうとする企業にとって、「リソース・ベース」の戦略論など、成功企業の後付の分析でしかない。「そんな差別性の高い資源がはじめからあれば誰も苦労しない」というのが本音ではないか。また、市場の「ポジション」といっても、ビジネスドメインの領域設定そのものが短期間に大きく変化する環境のなかで、既存の競合、供給者、需要者などの外部プレーヤーとの関係も極めて流動的である。 ここでもやはりGoogleは例外だろう。圧倒的な技術開発力を持ち、自らの力で極めて差別性の高い技術リソースを構築しながら、それを同時並行的に素早くビジネスモデル化し市場導入させる速い意思決定をできる企業になっている。ただ、当たり前だが、皆がGoogleになれるわけでもないし、なる必要もない。ネットビジネスの勝者が、Googleのような高い技術力を持つものだけになってしまったら、それは僕個人的には極めて退屈な市場に思える。そんな市場への新規参入は徐々に減り、長期的には市場は活力を失うに違いない。 怒涛の変化が日々押し寄せるWeb2.0時代のネットビジネスにおいて、圧倒的なスケールメリットや技術力でこの荒波を乗り切れるのは極一部のネット企業だけで、その企業リストはすでにほぼ固まっていると言えよう。「ポジション・ベース」の戦略論や「リソース・ベース」の戦略論を頼りにすれば、まだまだ立ち上がったばかりのネット企業やこれから参入しようと考えているプレーヤーにとっては、「あんたらに勝ち目は無いよ」と言われているに等しい。 いや、そうではないはずだ。歴史上いつの時代も新規参入が市場を活性化させ、市場を「破壊的」に変化させてきたのだ。そうした新規参入のビジネスチャンスが、クリステンセンの言う「ローエンドの破壊」か「新たなマーケットの破壊」のいずれに起こるかは、それこそ戦略次第だ。環境変化が緩慢な時代の戦略論をベースにしつも、Web2.0時代の経営戦略の枠組みを考えることは、いままさに焦眉の急であろう。その際のキーワードは、間違いなく「スピード」、「柔軟性」、「ネットワークを活かしたレバレッジ」だろう。そしてそのカギは「サービス・オリエンテッド」と「セミ・オープン(もしくはセミ・クローズド)」の戦略実践にあると僕はいま考えている。 ・・・『Web2.0時代の経営戦略論メモ(4)』につづく Permalink | Comments (0) 『Web2.0時代の経営戦略論メモ(2)』
◆ネット広告市場の拡大と古典的ブランディングの無力化 こうしてWeb2.0の世界観が、RSS/ATOMのようなXML技術をもとにブログなどで実感できるようになったり、Amazon Web ServicesやGoogle Map APIの公開などのWebサービスの一般コンシューマー向け展開により、一気に生活実感を伴ってきた。Web2.0の世界観というのは、テクノロジーギークの人たちにしてみれば、既に実現しているお話なのかもしれないが、これが世の中の多くの一般生活者が具体的なサービスとして便益を実感できるかどうかが重要なことなのだ。 あとはこの競争空間に参入してくるプレーヤーが増えれば、この市場はますます活性化する。しかし、ネットビジネス企業の安定的収益確保の苦労はまだまだ大きいものがある。ネットビジネスのスタートアップ企業は、例外なく初期の収益基盤の構築に一番苦労する。 ただ、近年のネット広告市場の膨らみと、それを支える様々なネット広告ツール/サービスの普及は、これからネットビジネスに参入しようとするプレーヤーにとっては朗報だろう。萩原氏@ネットレイティングスやタカヒロ氏@電通とのお話のなかで、ネット広告市場の広がりと可能性についていろいろお話伺ったが、コンテンツやサービスそのものに対する課金がまだまだ難しいなか、今後しばらくは広告収入がネットビジネス企業の収益の根幹を支えていくのは間違いない。 広告収益依存型のビジネスモデルは、得てして旧来型のマスメディア型ビジネスを想像してしまうが、Web2.0時代のネットビジネスにおける広告とは、単に情報の受け皿(ビークル)の情報量とその吸引力の追求ではなく、より一層分散化される情報のトラフィックのなかで、いかに細かくしかし効果的にユーザーに対して情報の露出と浸透をなし得ていくかがカギとなる。 もちろん、Yahoo!のような巨大ポータル型の広告モデルやブランディングは市場規模的には当面主流を形成するだろうが、これも近年よく語られるようになった「ロングテール」の議論に見られるように、市場取引の上位集中の度合いは、ネットビジネスに限って言えば、今後も徐々に下がってくると思われる。それも、グローバルに分散化された情報に対するアクセスする技術とフィルタリングの技術がここ数年で一気に進んだからだ。 古典的な広告やブランディングのアプローチは、そもそも生活者の情報処理能力が低いことを前提に、マスメディアを使って定型化された情報の幅広い露出と継続的な刷り込みを追及してきたが、分散化された情報への効果的アクセスとサービス間のシームレスな連携が実現されるWeb2.0の世界では、そうした人間の情報処理能力のボトルネックから解き放たれた新たなブランディングが実現される可能性が垣間見られる。いや、もしかしたら、Web2.0の世界では、「人の心に対する認知的刻印」という意味におけるブランド概念そのものが通用しないのかもしれない。 そもそもブランドというのは経営の実践の「結果」のようなもので、ブランド構築が目的化してしまっている経営戦略というのは、ネットビジネスにはそぐわないような気がしている。変化の緩やかな市場において既に何かしらのブランド資産といえるものを保有している企業に関しては、その資産の効果的活用を考える必要もあるのだろうが、常に環境変化し続け、新規参入の脅威が大きいネットビジネスの領域において、ブランド資産を溜め込んでいくことを目的にすると、どうしても戦略視座がロングスパンになってしまい、目の前の競争で負けてしまいかねない。 Web1.0/1.5時代の競争環境では、古典的なブランドオリエンテッドなマーケティングや戦略実践が功を奏した面も多々ある。ただ、Yahoo!、Google、Microsoft、eBayなどの強力なブランド力を持つ巨大ネット企業は例外でしかなく、それ以外のネットビジネス企業(特に新規参入を狙う企業)にとって、ブランドオリエンテッドな戦略実践はかえってリスキーではないかという仮説を僕は持っている。 ブランド戦略とは、消費者の情報アクセスや処理能力のボトルネックが大きい状況において、購買意思決定のコストを軽減するために、他者の評価の累積効果としてのブランドに頼るという構造があり、結果としてブランドの自己強化サイクルが出来上がることを前提にしている。「人が良いと言っているんだから良いものに違いない」というわけだ。そして強いブランドはますます強くなる。 しかし、Web2.0の世界では、一般生活者の情報アクセス能力・処理能力が上がり、これまで光の当たらなかったニッチなコンテンツやサービスにも、それが有用だと分かれば自然に手が伸びるようになる。そこには、ユーザー自身による編集(Web2.0風に言えばRemix)によるさらなるサービスの多様性の拡大もある。ブランドという魅惑の幻想に人が群がるのではなく、あるとすれば、ユーザー間のネットワーク効果をベースにした具体的な利便性と編集可能性に人は群がるようになる。そして、そこに人が群がれば、メディアとしての価値が生まれ、広告で収益が出せるようになる。 広告収入に収益基盤を依存しているネットビジネスモデルは、どこか脆弱な印象を与えるところもあるが、僕はネットビジネスはもっと広告に依存しても良いと思っている。メディア全体の広告量を考えれば、まだまだネット広告市場は小さいが(2004年の国内総広告費6兆円弱のうちネット広告は2000億円弱で3.1%(電通調べ))、それでも前年比50%増で急速に拡大している。ネット広告市場が5000億円レベルになれば、サービス提供しながら広告収入でスタートアップ後数年はきちっと食べていけるネット企業がもっともっと出てくるに違いない。そうすれば、その間に他の収益基盤を構築する余裕も生まれ、安定成長・拡大のステージへ進めるネット企業も増えてくるだろう。 しかし、そのような企業のブランディングに対するアプローチは、既にブランド価値を構築したプレーヤーが取るような、情報弱者を食い物にするような「まやかし」のブランディングアプローチ(言い過ぎかな?)ではなく、ユーザー間のネットワーク効果をベースにしたサービス提供と、その結果として生まれるユーザーの集積効果によるメディア価値とその収益化だろう。変化の速いネットの世界におけるブランドとは、所詮過去の証明でしかなく、未来の保証にはなりえない。Web2.0時代のブランドとは、自分の購買決定の動機付けや理由付けなどではなく、「単に好きだから選んだのだ」という素直な誇りのようなものに回帰するのではないだろうか。 これまでのブランディングの考え方やアプローチを全否定するつもりはない。ただ、Web2.0時代のブランディングとは何か、そしてそれを戦略化する枠組みとはどのようなものなのか、一度総ざらいして考え直してみる必要はある。 ・・・『Web2.0時代の経営戦略論メモ(3)』につづく Permalink | Comments (0) 『Web2.0時代の経営戦略論メモ(1)』
というわけで、前回エントリーの続き。ヒアリングの内容はできるだけ早く整理しておくのがフィールドワークの鉄則。うまくまとまらないかもしれないけど、それもまたご愛嬌。すべてはこのモヤモヤ感から始まるのさ(自己弁護)。長くなると思うので適当に分割してエントリーします。 ※内容に関して、間違いや疑問や批判などあれば、ぜひコメント/トラックバックください。ぜひウェブ上のフィードバックをもとにポリッシュしたいので。特に批判は大歓迎!!!
仕事柄、今回のように定期的に東京に行って、いろんなネット関連企業の方や専門家の方にヒアリングをするのだが、ネットビジネスの世界は本当に変化が速くて、ヒアリングをする度に自分の脳味噌の遅れ具合に愕然とする。ネットビジネスという領域を研究テーマにする限り、研究室に閉じこもっていては何も始まらないという当たり前のことをいつも再認識する。 今回のヒアリングを通じて強く感じたのは、ネットビジネスの世界が何かまた「動き始めた」ような感触だ。非常に感覚的なものなので根拠薄弱なのだが、やはりWeb2.0に代表される次世代インターネットの世界観を概観すれば、「ダイナミック」、「インタラクティブ」、「コンテクスト」、「サービスオリエンテッド」云々の言葉が、絵空事でなく実際のビジネスモデルに組み込んで考えることが可能となったことを感じる。 今回お話を聞かせてもらった佐藤匡彦氏@テクノラティの言葉を借りれば、Web2.0のイメージとは、 Web1.0の静的なWebであったり、Web1.5のサイトの独立性が高いダイナミックなWebとは異なり、サーバやコンテンツ同士がシームレスに連動され、インターネットが社会的なネットワークとして動作する 仕組みと言える。技術のことに興味がない大部分の一般ネットユーザーにしてみれば、「サーバやコンテンツ同士がシームレスに連動され」ることの意味など分からないし、分かる必要もないかもしれない。しかし、ネットを活用したビジネスモデルを設計・実践する者にとってみれば、このことが示す意味合いの大きさは理解せねばならない。 Web2.0以前(すなわちWeb1.0やWeb1.5)のネットビジネスでは、ブラウザに見える表面的な仕組みの裏側で、「データ形式の不一致」というとてつもないボトルネックがあった。様々な情報サービス運営者がそれぞれ独自のデータ形式でつくられたコンテンツを独自のネットワーク構造のなかで走らせていた時代では、そもそも「異なるデータ/システム/サービス同士を繋ぐ」という発想がなかった。乱暴に言えば、とにかく自社内で問題なく動けばOK。他のデータ/システム/サービスとの連携なんて、二の次」って感じ。そんな感じでエイヤッと作られてきた80年代・90年代前半の情報システムやサービスはなんとかそれでよかったけど、90年代後半以降、インターネットが爆発的な普及を遂げ、それに応じてネットワーク速度も劇的に速くなった今、繋がることを前提にしたネットワークベースのデータ/システム/サービス構造をはじめから考える必要が出てきた。 そのためにRSS/ATOM等のXML技術やWebサービスが考案されてきたわけだが、最近のAmazon Web Servicesの展開やGoogle Map APIの公開などに見られるように、前世紀から言われ続けているWebサービスの可能性が、いま一般コンシューマーレベルで実感できるようになった。 Webサービスは、もともとB2B(企業間)の情報シェアリングの効率性を高めるための技術だが、それがいまB2C(対一般コンシューマー)という分かりやすい領域で本格展開されることにより、単なるバックオフィスの効率性追求のツールではなく、広く顧客獲得・市場拡大戦略の手段として活用できるようになったところが面白い。これまで独立して構築・運用されてきた様々なネットサービスが、Webサービスという共通のプラットフォームの上で、効果的な相互補完・相互支援ができるようになったことで、一般ネットユーザーレベルでもその恩恵を実感できるようになった。 そうは言っても、Webサービスの展開が今後より一層広がっていったとしても、一般コンシューマーが感じることのできるサービスの革新性はそれほど高くないかもしれない。Amazon Web Service、Google Map API、と言っても、世の中の大半の人は「ハァ、何それ?」という感じだろう。ただ、これまで完全クローズドの内部資源だったデータを、外部の様々なプレーヤーが活用できるようなかたちにして公開することで、サービス提供者の裾野が一気に広がる。そこにはより良いサービスを提供しようとする企業間の競争空間(=市場)ができあがり、そのことで、結果的に一般コンシューマーは今よりも便利な選択肢をより多く手にすることができるようになる。 というわけで、このWeb2.0というネットの世界の「方向感」のなかで、僕が一番注目したいのが、こうしWebサービスの一般コンシューマー向けの拡大である。 ・・・『Web2.0時代の経営戦略論メモ(2)』につづく Posted by MK @ 01:18 PMPermalink | Comments (0) August 08, 2005
『IFIP8.2 @ Cleveland』
先週金曜日にアメリカ出張から帰還。いまだ若干時差ボケ気味。年々長距離の飛行機旅行が体にキツくなる。帰りは乗り換えも含めて20時間近くかかった。しばらく飛行は乗りたくない気分・・・。 今回の出張目的は、IFIP8.2 Working Conferenceという学会での論文発表がメイン。このIFIP8.2という不思議な名前の学会(というより研究会といったほうが正しい)は、Internatinal Federation for Information Processingという情報通信系の国際学術団体のなかにある"Interaction of Information Systems and the Organization"というテーマに基づく研究組織である。 僕の研究分野で一番大きな国際学会と言えばICIS (International Conference on Information Systems)になるわけだが、毎年全世界から1,000人を超える参加者が集まる学会なので、ある種「巨大イベント化」してしまって、本来の研究面での情報交換や緊密な連携などはできにくい。それに比べて、このIFIP8.2はアクティブに参加している研究者は100名程度なのだが、そのメンバーが全員この分野の第一人者ばかりで、しかも少人数なので極めてフレンドリーな雰囲気な集まりになっている。 今回僕はこの学会に初めて参加したのだが、顔見知りもたくさんいて、とてもリラックスした気持ちで馴染めた。さらに、今回は僕のsupervisorであるCarsten Sorensenと、博士論文の審査をしてくれたKalle Lyytinenがチェアーの開催で、またまたさらに今回のテーマが"Designing Ubiquitous Information Environments"と僕の研究関心とドンピシャだったため、参加しないわけにはいかなかった。 開催地は、Kalleが所属しているCase Western Reserve UniversityのWeatherhead School of Management。場所はアメリカ五大湖のひとつエリー湖に面したオハイオ州クリーブランドにある。 僕はもちろんこの地は初めての訪問だったわけだが、正直あんまり雰囲気は良くない街だなと思った。クリーブランドはデトロイトと共に70・80年代の重工業産業の衰退による経済不況の波にドップリ飲まれて失業に苦しんだ街として有名だが、近年はその復興目覚しいとの話は聞いていた。だが、それにしても、僕の目にはあまり元気のある街という雰囲気は伝わってこなかった。また、夜はあまり治安が良くないようで、ホテルの人からもあまり一人で出歩くなと言われた。まあ、これでも一時期よりはだいぶマシになったんだろうなぁと思いながらも、正直もう一度来たいとはあまり積極的には思えない街ではあった。 とはいっても、今回訪れたWeatherhead School of Managementは全米ランキング30位前後の中堅ビジネススクールで、僕の専門分野(Information Systems)に関しては全米有数のリサーチスタッフを抱えているので、個人的には今回の訪問は楽しみにしていた。で、実際に来てみてまずビックリしたのは、先鋭的な大学建築物として全米でも有名なPeter B. Lewis Building。その異様さ、もといインパクトは僕の予想を大きく超えていた。内部の実際の使い勝手はどうか分からないが、外見のインパクトは十分すぎるほど強い。一度見たら忘れないとはこのことを言うのだろう。 僕の発表に関しては、これまでの研究のまとめみたいな感じな内容だったので、僕的にはこれといってチャレンジングなものではなかったのだけど、いろいろと質問やコメントなどをもらって、とても有意義な発表になった。 それよりも、今回参加して心底良かったと思ったのは、2人のキーノートスピーカーだった。まず初日のキーノートスピーカーは、僕も何度かこのBlogで紹介したThomas W. Malone。僕は留学初期に彼のcoordination theoryやe-lance economyに関する論文を読んだのが、その後の博士過程に進む大きなきっかけとなった。その意味で、僕は彼のbig fanで、その彼に会って話を聞けたのは今回の大きな収穫(というかご褒美)だった。お決まりの「Are you happy?」から始まるスピーチ。う~ん、たまらない。けど、ほんとに「Are you happy?」って言うとは思わなかった・・・。彼の研究内容をほぼ全て押さえている僕にとって、スピーチの内容は目新しいものはほとんど無かったが、僕としては彼の話を聞けただけで大満足。 もう一人のキーノートスピーカーは、これまた僕の研究に大きな影響を与えたPaul Dourish。もともと彼はcomputer scientistだが、ハイデッガーなどの存在論を基にした人間間、そして人間とコンピュータ間のインタラクション分析で、若くしてCSCW (Computer Supported Cooperative Work)やHCI (Human-Computer Interaction)の分野の著名研究者となった。彼の近年の研究はかなり思弁的なので、好き嫌いも分かれるとは思うけど、博士課程在籍中に読んだ彼の著作「Where the Action is?」に僕は強い影響を受けた。そんな彼の今回のスピーチもかなり思弁的だったけど、いろんなことを考えさせられる刺激的な内容だった。こちらも大満足。 さらに今回の大きな収穫は、2人の韓国人研究者と今後の共同研究の話がスタートしたことだろう。一人は今回CarstenとKalleと共にチェアーだったYoungjin Yooで、彼が編集するアジアのモバイル産業とそのビジネスインパクトに関する本への章執筆の話が決まった。そしてもう一人、Heejin LeeとはTime-space transformation in ICT useに関する共同研究を始めようということになった。このような共同研究の話が盛んに始まるのも、このIFIP8.2という学会特有のメンバーの緊密さのなせる業だろう。 というわけで、クリーブランドへの長旅はもうウンザリといった感じだったけど、その甲斐あって収穫はとても大きかった。来年のIFIP8.2 Conferenceはアイルランドでの開催でできればまた参加したいのだけど、テーマがちょっと難しいなぁ。うむむ・・・、要検討。 とにかく、これでこの夏の大仕事のひとつだった学会発表が終わった。そろそろ世の中はお盆休みに向けてお休みモードに入りつつあるけど、僕の夏はまだまだこれから。実はちょっと体調を崩し気味なのだが、心も体も英気を養ってまた頑張らねば。夏バテなんか言ってられません。ではまた。 Posted by MK @ 03:14 PMPermalink | Comments (0) July 03, 2005
『プレゼン上手』
先月末締め切りの論文に追われ、年甲斐もなくまた徹夜してしまい、いまだ疲れを引きずる柿原です。 前回のエントリーでも紹介したように、先週は本田技研工業の公式ウェブサイトの責任者をされている渡辺春樹氏に本学まで講演に来ていただいた。タイトルは、そのものズバリ、「Hondaウエッブサイトの戦略」。内容は、企業でウェブサイト管理をしている人や、広告やマーケティングにウェブを活用しようと思っている人にはたまらなく刺激的なものだったと思う。 渡辺さんの講演のなかで出てきたメッセージのなかでも一際強調されていたのが、「ウェブを通じて世の中の動きが見える」ということ。ウェブ上で見えてくる生活者の動きは、2~3年前までは世の中の極々少数の人たちしかサンプリングしていないデータでしかなかったが、ブロードバンド環境が急速に普及した結果、ウェブのログを解析していくと、世の中の様々な動きが如実に見えてくるとのこと。そうなってくると、これまでリアルタイムで詳細なデータが取れなかったような事象についても、ウェブのログ解析により様々な角度から分析できるようになるわけである。 こうなってくると、これまでGRPのような信憑性には?マークがいくつも付くような広告効果指標よりも、ウェブのログ解析から各種のキャンペーンや広告投資の効果測定ができるようになる。これが、いままさに渡辺氏が各方面で発表されている内容である。ここまでネット・セントリックな広告やマーケティングの考え方は依然マイナーではあるが、今後ますます説得力を持つようになるだろう。 それにしても、渡辺氏のプレゼンの上手さには脱帽。淡々とした口調ながら、時折ジョークも交えながら、ジェットコースターのようなプレゼンで聴衆を惹きつけて放さない。前にも少し書いたが、企業の方のプレゼン・スキルは、大学研究者のそれを優に上回っている。参りました・・・。 さて、もう一本講演ネタを。 昨年ゼミ生と共にオフィス訪問させてもらいお世話になったNews2uの神原弥奈子氏が、ライブドアの堀江氏と共著で「勝つためのインターネットPR術」という本を出された。その出版記念セミナーが東京・大阪・名古屋で開かれており、大阪会場のほうにゼミ生も一緒に招いて頂いた。 神原氏のNews2uは、ニュースリリースのポータルサイトを運営しているネットPRサービスのオンリーワン企業。それ以上に、神原氏はネット業界歴13年という泣く子も黙る猛者(笑)。今回のセミナーのテーマは「社長ブログ」ということで、神原氏ご自身の社長ブログでのご経験も踏まえて、特にベンチャー企業における社長ブログ活用のメリットについて様々なお話を聞かせて頂いた。 ベンチャーや中小企業にとっての一番といって良い悩みは、どのように自社や商品の認知を高めるか。この点で、ネットの有効活用は、これまで多大の投資をしなければ企業が獲得できなかったようなメディア効果をもたらしてくれる。社長ブログのその一貫として考えられる。社長の個性や人柄を前面に出して情報発信することで、その社長の「ファン」を獲得する。それが、結果的には販促面でもマーケティング面でも効果が大きいとのこと。 しかし、このような効果をブログで出すには、当然だが「更新頻度」が極めて大事になる。神原氏も「ぜひ毎日更新を」と勧めておられたが、翻って僕のこのブログ・・・。ヘタしたら月1回ぐらいしか更新しないという超怠慢ブログである。神原氏のキツーイお言葉がグサグサ胸にささったセミナーだった。 そして、またもや、神原氏もプレゼン上手過ぎ。素敵な笑顔で爽やかにお話になりながら、核心についてはズッシリとくる口調で熱く語る。あのプレゼンを目の前で聞かされたら、そりゃ誰でもファンになりますって・・・。 自分のプレゼン能力はさして低いほうではないとは思ってるけど、やはりこれだけ上手い人たちのプレゼンを見ると、自分もまだまだだなぁと思う。もちろんコンテンツも大事だけど、それを人にいかに伝え理解してもらい共感してもらうかという点を考えれば、プレゼン能力は極めて大きな意味を持つ。僕もまだまだ精進しないといけないなと思った講演2本でした。 最後になったが、渡辺さん、神原さん、すばらしいご講演、本当にありがとうございました!!! Posted by MK @ 11:05 PMPermalink | Comments (2) June 21, 2005
『学会発表ほかいろいろ』
先々週、先週と東京⇔関西を行ったり来たりしてました。平日にしっかり講義が入っている授業期間にはあまり頻繁に出張を入れられないのだが、今回は2週つづけて学会発表の予定があったので仕方なく。 実は、わたくし。今回ようやく国内の学会に「デビュー」しました。僕の研究生活というのは、1999年に海外留学をしてからの高々6年程度なのだが、この6年の間に書いてきたほぼ全ての論文が英文論文だったので、必然的に発表の場も海外のジャーナルとか学会とかになってしまった。もちろん、2003年に帰国してからは国内のいくつかの学会に参加して、他の人の発表は聞いてきたのだが、まだ自分の発表はまったくしてなかった。 けど、やっぱり自分の研究成果を国内のオーディエンスに届けるということの必要性もかなり感じるようになってきたので、遅ればせながら国内の学会で発表させてもらうことになった。 まず、6/11-12に早稲田大学で開かれた経営情報学会で発表。発表内容は、今年2月に亡くなったClaudio Ciborraの業績を振り返りながら情報システム学の今後の展望を考察したもの(参考:PDF)。僕がいます進めている研究からは離れたテーマなんだが、やっぱりClaudioのことは日本の関係者にもしっかりと知ってもらいたかったので今回発表させてもらった。1日目の夜の懇親会では色んな方と新しく知り合えて、とっても楽しく、また実り多い発表になった。 そして、先週末の6/18-19に横浜国立大学で開かれた組織学会では、これまでも海外の学会で発表してきた独立型プロフェッショナルに関する研究をベースに組織論的に膨らませた内容を発表させてもらった(参考:PDF)。元々は僕の博士論文がベースとなっている内容なのだが、たくさんのことを言おうとしすぎて、発表にまとまりがなくなってしまった。深く反省。けど、留学時代から大変お世話になっている竹田陽子氏@横国大にも久しぶりにお目にかかれ、また他にもたくさんの研究者の方々と会えて、全体的には収穫の大きい発表だった。 この2週に渡る学会発表を経て感じたのは、当たり前だけど「やっぱり国内でも発表しないとね」ってこと。これまで英語で論文を書いて海外で発表してきた自分としては、国内での論文発表はどこか狭いオーディエンスを対象にしている気がしていたのだが、国内にも僕と同じような研究関心を持っている人がいて、そういった方々から直接具体的にレスポンスを頂けるというのは本当にありがたいことなのだという極めて当たり前のことに今更ながらに気がついたというわけ。結局は、国内・海外両方で発表していきなさいってこと。頑張ります。 さて、この2つの学会発表に絡めて、いくつか東京で開催されたセミナーや研究会に参加してきた。 6/16には、セミナー「大学Webサイトの検証-編集力と進化」というものに参加してきた。これは、僕が学内のウェブ関連のいくつかの仕事に関わっている関係で、学部から行かせてもらったもの。内容は、ネット視聴率調査で有名なネットレイティングス社の萩原雅之氏の講演や、京都産業大学や成蹊大学のウェブ運営担当者の方のお話などが聞けて、とっても面白かった。今回教えてもらったことを、学内のウェブ関連プロジェクトにも活かしたいなぁなんて密かに思ってたり。 6/17は、情報処理学会主催のセミナー「組込みソフトウェア開発の最前線」に参加してきた。実は、いま進めている研究と並行して、ソフトウェア工学と経営戦略論の両研究分野を架橋するような研究も新たに始めてみようと思っているので、そのための事前情報収集のために参加してきた。内容は、当然だけれども工学的な説明が長くて、僕的には前半はかなり退屈するパートもあったのだけど、後半はトヨタの事例や経営的な分析の話も出てきて、この部分だけでも参加した甲斐があったというもの。 ちなみに、今回のセミナーのコーディネーターをされていてTRONプロジェクト関係でも有名な田丸喜一郎氏だが、メチャメチャ饒舌な方でビックリ。そんじょそこいらの大学教員ではまったく太刀打ちできないくらい話がウマイ。セミナーの最後に軽く挨拶させてもらったが、とっても気さくな感じの方で、ぜひ機会を改めてまたお話を伺いたいと思う。 6/18の午前には、組織学会の会場の横国大に行く前に、以前にも参加させてもらったEmerging Technology研究会に参加してきた。今回は前CNET Japan代表の御手洗大祐氏を招いて「インターネットはメディアをどう変えたか」というテーマで。今年2月以来の久々の参加だったわけだが、いつもながらeビジネスの最前線で頑張ってる方々のお話は極めて刺激的。大学研究者が知らない(知ることができない)情報がジャンジャン飛び交う。う~ん、たまらん。やっぱりこういった場には継続的・積極的に参加しないといけないなぁと再確認。主催者の渡辺聡さん、スピーカーの御手洗さん、ありがとうございました。 ほかにも、いくつかのインフォーマルなミーティングに参加したり、東京の知人・友人にあったりと、色々忙しい東京出張だった。その間には、授業をしに西宮に戻りながらだったので、余計に疲れた・・・。 さて、今週には、前回エントリーで紹介したように、本田技研工業のウエッブマスターの渡辺春樹氏の講演がある。実は、渡辺氏は僕がサラリーマン時代に大変お世話になった方。僕が今のeビジネス/情報システム関係の研究の道に進むことを決心したのは、僕がまだぺーぺーのコンサルタントだった時代に渡辺氏とご一緒させてもらったネット関係のプロジェクトに参加したのがきっかけだった。 当時急速に進んでいたインターネットの普及とその経営的インパクトに鮮烈なオドロキを得た僕は、この分野をしっかりと勉強したいと徐々に思うようになり、結局会社を辞めて留学することになった。そういった意味で、渡辺氏は僕にとって恩師のような方なのである。個人的な感傷なのだが、そうした渡辺氏を今回お迎えして講演してもらうことになったことには深い感慨を得ずにはいられない。ちなみに、この講演シリーズは一般公開・参加無料なので、お時間ある方はぜひぜひ参加して頂きたい。 というわけで、次回はこの渡辺氏の講演の話でも。ではでは。 Posted by MK @ 08:00 PMPermalink | Comments (0) March 01, 2005
『Emerging Technology研究会』
この前の日曜日に、CNETのBlogで有名な渡辺聡氏と他数名の方々が主催されているEmerging Technology研究会に参加してきた。昨年末から始まっていたのだが、年末年始はいつも学内業務でガチガチに拘束されてしまうので参加できなかったのだが、今回他の仕事と絡めてようやく東京に行く予定を作って参加してきた。 今回の参加者はぜんぶで15名ほど(だったと思う)で、テーマはソーシャル・ネットワーキング(SNS)。ゲストとして、主に企業向けのSNSエンジンパッケージを開発・販売しているBeat Communicationの村井亮氏と、ソーシャルネットワーキング.jpを運営されている原田和英氏。お二方のプレゼンをもとにして、参加者全員でディスカッションをするというもの。人数が人数なので、とてもカジュアルで良い雰囲気で話し合うことができた。 内容の詳細はここには書ききれないが、SNSに関わる広範なテーマの中でもビジネスモデルの側面にスポットライトを当てるかたちで議論が進んだ。GREEやmixiなどの総合型SNS、機能特化型SNS、ターゲット特化型SNSなど、多様化が進むSNSのビジネスモデルにどのような可能性があるのか、また村井氏Beat Communicationが提供する法人向けSNSパッケージの可能性とは何か、などといったことが活発に議論された。 正直、僕はSNSにはあまり詳しくないので、参加者の方々の博識と慧眼には驚くばかり。ほんと、いろいろ勉強させてもらいました。今回この研究会でお知り合いになった方々もユニーク且つ魅力的な方々ばかりで、これを機会にぜひ色々お話を伺ってみたい方ばかりだった。皆さん、本当にありがとうございました&今後ともよろしくお願い致します。 ちなみに、このようなボランタリーな研究会や勉強会が方々で開かれている東京は、やっぱり羨ましいなぁと正直思ってしまう。今回も他の用事と絡めてようやく参加できたのだから。次回以降もこの研究会にはぜひ参加したいと思っているんだけれど、他の仕事とのスケジュール調整に格闘せざるを得ない。う~ん、悩ましい。 最後に、今回知り合った方のBlogをパラパラ見ていて「大阪弁変換フィルタ」なるものを発見。ちなみに、この僕のBlogをこのフィルタにかけるとこうなる。あまりにいかがわしい大阪弁(not 関西弁)に大爆笑。前回の湿っぽい僕のエントリも、このフィルタにかけるだけで三流大阪コメディに大変身。とてもよい気分転換になりました。大阪弁変換フィルタの作者さま、ありがとう。 Posted by MK @ 10:44 PMPermalink | Comments (3) February 21, 2005
『Claudio Ciborra 1951-2005』
珍しく連日のエントリーだが、このことはやはり触れておかないと僕の気持ちが落ち着かないので、書いておく。 スタンフォードに出張する直前に前触れ無く入ったメールだった。僕が留学していた先でお世話になったProf. Claudio Ciborra(クラウディオ・チボラ)が2/13に彼の故郷であるミラノで亡くなったという知らせだった。享年53歳。あまりに早い別れだ。 Claudioは、僕が留学していたLondon School of EconomicsのDepartment of Information SystemsのConvener(学科長)を2000年から務めていた。僕は1999年から2003年までこの学科に在籍していたので、彼がConvenerとなった後の彼の手腕による変化や功績をよく知っている。彼がConvenerになってから、学科は大きく様変わりし、たくさんの新しい試みが実行に移された。そして、その多くは大きな成果を上げ、Claudioの評価をさらに上げることとなった。 Claudioはいろんな意味で「アンビバレント」な人間だった。Information Systems分野の研究者としての彼の名前を一躍有名にしたのは、取引費用の経済学理論を情報システム分野に大胆に取り入れた実証分析で、それまでの情報システムの構築手法や組織へのインパクト分析の枠組みに新たな地平を拓いたことだった。しかし、1990年代後半以降の彼は、一気に難解な形而上の世界へと研究の針路を採り、情報とは何か、その情報を扱う人間の存在とは何かという哲学的な問いに向き合い続けた。そうした彼の「転向」に違和感を感じていた同僚や研究者仲間は少なくなかった。 彼は背が高く、とてもオシャレなイタリア人で、いつもちょっと斜に構えた雰囲気には独特のものがあった。現代のパワーポイント全盛の講義のなか、彼の講義スタイルは、マジック一つ持って教室に現れ、強いイタリア訛りで訥々と話し始めて、細かい字でホワイトボートにコチョコチョと要点を書くだけのものだった。それは、彼の取っ付きにくい雰囲気やシニカルな口調に加えて、本当に学生泣かせの講義だった。しかし、そんな彼がフラッと学科主催のパーティーに現れて、学生と気さくに話したり、ダンスミュージックに合わせて学生たちと一緒に楽しそうに踊ったりするフランクなところもあった。 彼はある意味とても正直な人で、学会や研究会などでも、発表者がどんなに大物だろうとも、自分の考えと違うところは鋭く問い詰めたりする激しいところがあった。そういった彼の正直さは、一部の研究者からは「無礼だ」とか「変人だ」とか思われたりしていたようだ。その一方で、博士課程の学生だった僕などが、研究テーマのことで恐る恐る彼の意見を求めに研究室に行ったりすると、とてもやさしく丁寧に意見を述べてくれて、最後には励ましの言葉などもかけてくれたりする暖かさも持ち合わせていた。 大抵の人はそんな彼のアンビバレントな人格に戸惑いながらも、どこか憎めない、どこか愛嬌のある彼の魅力に引き寄せられていた。そんな彼が死んだ。 彼とは、昨年後半に彼が編著者の一人になっている本の翻訳の相談をメールで頻繁にしていた。僕がこの翻訳の話を持ちかけたとき、3人いる編著者のなかで真っ先に「I think this is a great idea and opportunity!」と返事をしてくれたのが彼だった。その後10月あたりに彼が病気で入院しているということを聞き、翻訳の話も少し遅れることとなった。結局、翻訳契約は年内には固まらず、年を越すこととなったのだが、いま思えば、もっと早く彼に話を持ちかけて、もっと早く話を進めていれば・・・と思うと、悔やんでも悔やみきれない。 僕は、ある意味幸せなことなのかも知れないが、これまで親族や知人・友人が死ぬということをまったくと言ってよいほど経験していない。そのためか、今回、大変お世話にもなり、しかも今まさに仕事を一緒に進めていたClaudioの死は、言葉では表せない重石として僕にのしかかってくる。 Claudioのあまりに早い死を受け入れるのはまだ少し難しいところが僕にはあるが、彼との最後の仕事になった翻訳を仕上げることが、少しでも彼の弔いになるのではないかという微かな希望を胸に、今は粛々とその仕事に励むほかない。 May his soul rest in peace and silence. Posted by MK @ 05:28 PMPermalink | Comments (2) February 20, 2005
『スタンフォード訪問』
昨日仕事で行っていたスタンフォードから戻ってまいりました。現地でたった3泊の訪問だったけど、収穫があまりに多すぎてビックリしているくらい。 今回のメインの目的は、僕も参加している宝塚都市再生プロジェクトの一環で、アート・エンターテイメント・メディア研究に関する産学連携の海外事例の視察ということで、スタンフォード大学のMedia Xという産学連携研究ネットワークを視察すること。昨年の11月にこのMedia Xの日本対応コーディネーターの金松洋子氏に大阪でお目にかかり、そのときにも金松氏に「実際にスタンフォードに伺えればいいなぁと思っておりますぅ」なんてことを言っていたのだが、思ったよりも早く今回実現した。 僕はスタンフォード大学に訪れるのは今回が初めてということもあって、はじめからいろんな意味で期待大の訪問だった。スタンフォード大学と言えばシリコンバレー、シリコンバレーと言えばスタンフォード大学というくらい、この両者の関係は深い。僕もIT産業やネットビジネスのことを研究したり教えていたりするのに、一度もシリコンバレーを訪れたことがないことは僕自身ちょっと気になっていたわけで、それが今回仕事を絡めてこのようなかたちで訪問することができ、まさにパーフェクトといった感じ。 以下、このスタンフォードでの4日間の僕の動きを簡単に記してみたい。 ■2/15(火) 関空を発ち、現地の朝8時半にサンフランシスコ国際空港に到着。この日はあいにくの雨。すぐにタクシーに乗り、スタンフォード大学があるパロアルトに向かう。ホテルは大学のキャンパスのすぐそばにあるものを予約しておいたので、まずはそちらに向かう。空港から40分ほどでホテル到着、荷物を置いてまずは金松氏に連絡を取り、車でひろってもらう。 まずは昨年の11月にも大阪であったMedia XのExecutive DirectorのProf. Keith Devlinにご挨拶に。彼は今回の僕の訪問のコーディネートをしてくれて、僕が話しを聞きたいと思っていた何人かの先生にとても親切に繋いでくれた。Keithと金松氏と僕でランチを取りながら、Media Xの現状や様々な活動についてお話を伺った。 13時に今回最初のアポイントメントのProf. Pamela Hindsに会いに行く。Pamelaは今回のMedia X訪問とは関係なくとも、ぜひ一度会いたいと以前から思っていた研究者だった。というのも、彼女の研究は僕の研究関心と極めて近く、僕の博士研究にもとても強い影響を与えていたからだ。今回実際に会ってみて、とっても感じのよい女性で、Media Xの枠組みのなかで現在進めている研究について詳しく教えてくれた。 14時には2つ目のアポイントメントとしてProf. Cliff Nassと会う予定だった。しかし、Cliffが突然の病気でキャンセルになってしまった。Cliffは「Media Equation(邦訳:『人はなぜコンピューターを人間として扱うか―「メディアの等式」の心理学』)の著者の一人で、日本でも著名なコミュニケーション学の研究者なので、今回会えるのをとても楽しみにしていたので、とっても残念。 アポが一つ空いたので、Keithと金松氏がベースとしているCLSI (Center for the Study of Language and Information)に立ち寄らせてもらった。そこでちょうど火曜日の15時に開いているというセンター内のティーパーティーに参加させてもらい、そこでCLSIのいろんな研究者とおしゃべりさせてもらった。なかでも、Prof. Pat Langleyとは結構長くお話させてもらった。後から金松氏に聞いたのだが、PatはComputer Learningの分野ではとっても有名な方だそうで、その筋では「神様」的な存在だとか。こんな研究者がゴロゴロいるのがスタンフォードのすごさだろう。しかし、彼の超早口には閉口。 時差ぼけの体と脳味噌に鞭打ち、17時からは、CNetのBlogで有名な梅田望夫氏に会いに行く。梅田氏とは面識が無かったのだが、常々Blogを拝見していて一度お話したいなぁと思っていたので、不躾にもメールを送ってみたところ打ち合わせを快諾してくださった。梅田氏のオフィスはスタンフォード大のすぐ近くにあるので、金松氏に車で送ってもらった。シリコンバレーで長くビジネスをされている梅田氏に、最近のシリコンバレーやその他ITベンチャーの動きなどについて詳しくお話を聞かせてもらった。僕のどんな質問にも梅田氏からとても鋭く且つ明快な答えがズバズバ返ってくるので、とても刺激的だった。 その後、ホテル近くの中華料理屋で金松氏と軽く夕食をとってからホテルに戻り、そのままバタンキュー。 ■2/16(水) 2日目は晴れ。この日最初のアポは、11時にDr. Renate Fruchterと打ち合わせ。RenateはCivil Engineering Departmentの研究者だが、Media X関係でGlobal Project TeamやConcurrent Engineeringに関する非常に興味深い研究をしている。彼女はルーマニア人だそうで、ゆっくりとした口調でひとつひとつしっかりと話をしてくれて、とても誠実な対応をして頂いた。彼女の強さは、Engineeringの軸がしっかりあると同時に、Social Scienceのアプローチも研究に柔軟に取り入れている懐の深さだろう。 午後は大学のキャンパスをぶらぶら散歩しながら、大学のBookstoreに立ち寄ってみた。さぞかし品揃えの良い本屋なんだろうなぁと期待して入ったのだけど、正直たいしたことはなかった。結局2冊仕入れただけ。 以下は散歩中にキャンパス内で撮ったいくつかの写真。
そのセミナーが終わったあとで、ワインと軽食が出る軽い懇親会があったのだが、そこでセミナーに参加していたいろんな日本人のビジネスマン/ウーマンの方々ともお話できて、とても楽しかった。そこでお話した方の一人で、NEC(日本電気)のアメリカ支社で長らく働かれて、いまはシリコンバレーのベンチャーキャピタル会社でGeneral Managerをされているという加藤晴洋氏と会話がはずんで、「もしよろしければ明日オフィスに来ませんか」とお誘いを受けた。もちろん断る理由もなく、次の日のアポが一つ増えた。 ■2/17(木) 3日目は曇り後雨。この日はまず9時にProf. Jeremy Bailensonに会う。Jeremyは昨年11月の大阪でのMedia Xのイベントで来日していたときにも会っていたので、3ヶ月ぶりの再会となる。JeremyはもともとはSocial Psychologistなのだが、Virtual Reality(VR)の技術を様々な仕事の現場に応用する研究/実験をしており、昨年の彼のプレゼンテーションに非常に興味を持った僕は、今回彼のラボを訪ねさせてもらった。 ヘッドギアに見えるVRの世界を単なるエンターテイメント的な活用ではなく、より実践的な仕事の文脈での活用(例えば、警察の被疑者取調べなど)を目指して、彼のラボでは様々な実験と研究を進めている。今回僕もヘッドギアを着けて実際にVRの世界を体験させてもらった。一昔前のVRとは異なり、非常にスムーズな動きでグラフィックもかなり精密だった。もちろんまだまだ様々な限界もあることも事実だが、ゲームなどより目的を明確にした仕事の文脈のほうがいろんな活用の可能性があるのだと思った。 彼とはかなりフランクに話をしたので、他にもいろんなことを聞けた。授業は週1~2コマ、1年の半分は研究に使える。その分、研究成果に対するプレッシャーがとてつもなく大きいとのこと。成果を質・量ともに出さなければ「テニュア(終身在職権)」を取れないので、良い研究をしないと5~6年で放り出されることになる。けど、そうした研究のプレッシャーは大きいが、研究者としてスタンフォードで働けることはとても幸せだと言っていた。 お昼は大学の敷地内にあるStanford Shopping Centerに立ち寄って、ちょっと買い物をしつつお昼を食べる。15時には前日に急に決まった加藤晴洋氏との打ち合わせ。加藤氏は、もともとNECのエンジニアだったそうだが、その後経営企画や事業開発の仕事に従事され、今はNECも出資しているDali Hook Partnersというベンチャーキャピタル(VC)会社に移りそこでGeneral Manager(PDF)をされている。 シリコンバレーのVCのほとんどが集まっているというSand Hill Roadという高台に加藤氏のオフィスもあった。VCというのは、ダイヤモンドの原石のようなビジネスプランやベンチャー企業を見つけ出して、そこに投資家から集めた資金を投入し、その会社を大きくさせることでキャピタルゲインを出す仕組みなわけだが、実はその実態はナゾに包まれている部分が非常に多い。加藤氏はそのシリコンバレーのVCの経営にGeneral Manager(会社によってはPartnerとも言う)として携わる数少ない日本人のうちの一人だ。 その経歴も実績も今のお仕事もすごい加藤氏は、偉ぶることまったくなく、昨日会ったばかりの僕のような若造に対しても、シリコンバレーのVCの仕事の「いろは」から懇切丁寧に教えてくれた。彼曰く、シリコンバレーは「人のネットワーク」が根底にあり、またそれがシリコンバレーの強さだとのこと。シリコンバレーのIT産業やネットビジネスに関わるキーパーソンたちのネットワークに繋がっていれば、良いネタは自然に入ってくるし、そうでないと絶対に入ってこないとのこと。なので、ちょっとしたキッカケでも人の繋がりは大切にしているそうで、だからこそこんな僕との偶然の繋がりも大事にしてくれたのだろう。本当にありがたい限りである。こんなに親切にしてくれた人には、今後どんなに時間がかかっても恩返しをしたいと心から思う。 最後の夜は、金松氏に薦めてもらったホテルの近くのSundanceというステーキハウスに入る。ここのリブステーキは有名だそうで、この日もたくさんの客で店内はいっぱいだったが、僕は運良くあまり待たずにテーブルに着けた。もともと僕はリブはあまり好きじゃないんだけど、ここのリブはそんな僕でもおいしく食べれた。また機会があればぜひ来たい。 ■2/18(金) 最終日も朝から雨。9時ごろホテルをチェックアウトし、タクシーでサンフランシスコ空港へ。11時間あまりのフライトを経て、日が変わり2/19の夕方に関空着。 余談だが、帰りの飛行機の中で、映画「Shall We Dance」を見る。言わずもがな、邦画「Shall we ダンス?」の英語リメイク版なわけだが、意外(?)にもかなり良くて、終盤のクライマックスでは迂闊にも泣いてしまった。そのシーンで流れていたPeter Gabrielっぽいバラードソングが耳から離れなくて、気になって家に着いてからネットで調べたら、やっぱりPeter Gabrielだった。曲名は「The Book of Love」。この映画のために書き下ろした新曲だそうだ。彼の憂いのあるバラードは昔から大好きだった。これも僕の涙腺を緩めた原因か。オフィシャルサイトで聴ける(ただし要無料登録)のでぜひお試しあれ。 ++++++++++ と、こんな感じのスタンフォード訪問だった。今回は前後にあまりスケジュールの余裕がなく、たった現地3泊の旅だったが、収穫はあまりに大きい。これから集めた情報や資料を整理しつつ、自分のあたまももう一度整理しなおして、いろいろと今後に繋げていきたい。 最後に、現地でお世話になった金松さん。本当にありがとうございました! Posted by MK @ 04:38 PMPermalink | Comments (6) September 06, 2004
『Malone "The Future of Work" 書評』
先日の欧州出張の長い移動時間で、これまで読まずにたまっていた本を結構たくさん読むことができた。その中でも、トーマス・マローン(Thomas W. Malone)教授の「The Future of Work」は、僕の研究にとってあまりに強い関連があるので、ここで勝手に解説と個人的注釈を記しておきたい。 本書はたぶん誰かが正式に翻訳を進めているとは思うけど、それまでの繋ぎとして使って頂ければと思う。かなり長くなりそうなので、興味ある人だけ「続き」をご覧あれ。 ++++++++++ <追伸> 思いのほか早く邦訳が出たみたい。というわけで、この書評、早くもお役御免かも(笑)。 ++++++++++ まず、マローン教授の簡単な紹介から。マローン教授は、現在マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン・スクール(Sloan School of Management)のPatrick J. McGovern Professor of Management、および同じくMITのCenter for Coordination Scienceの所長を務めている。専門は経営情報システム論。組織設計におけるITのインパクトについて長年研究を続けており、多数の論文・書籍を出版している。また、MITが90年代後半に行ったITとビジネス・組織の関係についての一大研究プロジェクト「MIT Initiative on "Inventing the Organizations of the 21st Century"」の共同ディレクターも努めた。 マローン教授は、僕の専門分野(経営情報システム論)では知らない人はいないと言ってよい著名研究者だが、本書の出版により一般層においても一気にその名前が知られることとなった。日本では、2002年にNHKスペシャル「変革の世紀」で彼の研究が取り上げられてインタビューも流されたことで一気に名前が広がった。最近では、梅田望夫氏のblogで何度も((1)、(2)、(3))取り上げられ、さらに幅広い層に知られることになったと思う。本書のおおまかな内容はここで梅田氏がうまくまとめてくれているので、簡単な概要だけ知りたい人は上記3本のエントリをご覧あれ。 また、本書の内容をベースにしたマローン教授の講演が、MITのウェブ上の公開講座「MIT World」でタダで聞くことができる。また、本書8章の冒頭部分は、Harvard Business Schoolの「Working Knowledge」というサイトで公開されており、「OutLogic Inc.」がこのサンプル翻訳を提供してくれている。 個人的なことを少し書かせてもらえれば、マローン教授の研究に僕はきわめて多大な影響を受けており、特に1998年にHarvard Business Reviewに掲載された彼とロバート・ローバッカー(Robert Laubacher)の共著の論文「The Dawn of the E-lance Economy」(注1)(資料(1)、(2))や、その後の一連の研究は、僕の博士論文の出発点にもなっている。
Thomas W. Malone
Part I: The Coming Revolution Part II: How Many People Can Fit at the Center of an Organization? Part III: From Command-and-Control to Coordinate-and-Cultivate
マローン教授(以下、著者)が本書で扱う大きなテーマは、ITの普及により進む現代のビジネスや組織の変化である。その中でも特に詳細な分析の光が当てられているのが、意思決定や組織構造の「分散化(decentralization)」の問題である。 現代の企業においては、これまでの階層的(hierarchical)で中央集権型(centralized)の組織構造が徐々に崩れ、フラットで柔軟な組織構造が地理的にも分散しながら構築されるようになってきている。このことで、これまで自社の組織内だけで行ってきた数々の業務を、より効率的で適切な外部の人材や組織にアウトソーシングできるようになってきている。 こうした大きな変化を、著者は、「分散化(decentralization)」というキーワードを使って議論を展開していく。著者が本書で述べているように、これまでも同様の議論は、「フラット化」、「バーチャル化」、「自己組織化」、「創発」など、さまざまなキーワードや概念のもとで展開されてきているが、彼は議論の切り口をあえて分散化というキーワードひとつに絞り込むことで、この大きな変化の中身と将来的な意義について、クリアで分かりやすい説明と議論の見取り図を提供してくれている。 こうした意思決定と組織構造の「分散化」現象が進展している要因は、当然さまざまなものが考えられるが、著者はそのなかでも、ITの普及による「コミュニケーション・コストの劇的な低下」を中心的に取り上げる。古代における文字の出現から始まり、産業革命時代における活版印刷の発明、そして前世紀での各種ITの発明と急速な普及は、人間がお互いにコミュニケーションしあう際にかかるコストを劇的に下げてきた。そして、そうした新たな技術の出現は、時代のそれぞれにおいて、人間の集団意思決定や組織のあり方を大きく変えてきた。そして、いまこの現代において、ITの普及は、産業革命から続いてきた「中央集権化」の流れを大きく変え、我々の意思決定や組織デザインの考え方を、一気に「分散化」の方向に転換させると著者は説く。 上図は、著者が本書の第一部(Part I)で展開する基本フレームワークである。社会やビジネスのあり方の歴史的変化を、大きく3つのステージに分けて描いている。バラバラで分散していまっている(independent and decentralized)意思決定者の集まりから、中央集権的(centralized)な意思決定を行う集団に変わり、さらに今は分散しているが繋がっている(connected and decentralized)意思決定者の集まりへの変化として説明できると著者は説明する。別の文献(注2)では、このそれぞれの人間(意思決定者)のイメージを、「Cowboys」、「Commanders」、「Cyber-cowboys」と呼んでいる。 この大きな歴史的シフトを引き起こした多くの要因のなかで、前述したように、著者は新しい「技術」の発明と普及によるコミュニケーション・コストの低下にスポットライトを当てる。特に、ビジネスの世界の変化においては、活版印刷技術の発明や大量生産方式の普及などにより、自給自足型の個人経営ビジネス(small business)をより中央集権的な意思決定と組織構造をもつヒエラルキー型企業(corporate hierarchy)へと変化させた。そして、1990年代以降のインターネットに代表される多対多コミュニケーション技術の普及により、こうした中央集権型構造よりも、分散型の意思決定メカニズムと組織構造を導入したネットワーク組織(network)のほうが効率的・効果的になる場面がますます増えてきていると著者は分析する。 このあたりのコミュニケーション・コストと組織構造の関係に関する議論は、著者が1980年代から提唱しているもので(注3)、経営情報ステム論における基本文献のひとつになっているが、この歴史的変化については、著者の同僚でもあるジョアンヌ・イェーツ(Joanne Yates)の研究がより詳しい(注4)。 当然のことながら、こうした大きな社会変化は直線的におこるわけでもないし、世の中のすべての場面において一様に進むわけでもない。ただ、現代のビジネスの世界においては、この分散化への流れは着実に進んでいると著者は主張する。本書の第二部(Part II)では、こうした現代のビジネス環境において進みつつある意思決定メカニズムと組織構造の変化について、現代のビジネスにおける各種の具体的事例を取り上げながら議論が進む。 中央集権型ヒエラルキー組織(centralized hierarchies)からネットワーク組織(Networks)へのシフトについては一挙に進むわけではなく、主に3つのパターンをとりながら漸進的に進んでいくと著者は説明する(上述のHBS Working Knowledgeのサイトで紹介されている表を参照)。 それは、「Loose hierarchy」、「Democracy」、「Market」の3つで、それぞれの特徴が各種の事例が取り上げて解説されている。例えば、「Loose hierarchy」の事例としては地球規模で進められている分散型百科事典制作プロジェクトのWikipedia、「Democracy」では、防寒具のゴアテックスで有名なW. L. Goreにおける参加型意思決定の事例、「Market」の事例ではネットを駆使するフリーランサー(eランサー)達の協働などが取り上げられている。本書の第二部におけるこうした事例に関しては、少々分析が浅い部分も見受けられるが、各種の事例ごとに分散化のメリットとデメリットがどのように出現しているかがクリアに描かれている。 第一部と第二部で繰り広げられた議論をもとに、著者は最後の第三部(Part III)において、これからのビジネス環境におけるマネジメントのあり方と個人の生き方の問題に迫る。ここでの彼のメインの主張は、これからのマネジメントは、ヒエラルキー型組織がメインストリームだった時代における「命令し制御する(command-and-control)」というマネジメント・スタイルから、より個人の自立性やモチベーションや創造性を引き出すような「調整し育成する(coordinate-and-cultivate)というマネジメント・スタイルに変わるべきだというものだ。 まず、「調整(coordination)」に関する議論は、その名を冠した研究所を著者が設立して長年研究を進めてきた「コーディネーション科学(Coordination Science)」に関する研究がベースとなっている。ここでの議論はかなり抽象度が高いにもかかわらず紙面の関係上短くまとめられてしまっているが、「コーディネーション科学とは何ぞや」という問いについては、著者の教え子の一人であるケビン・クロウストン(Kevin Crowston)と共に執筆した論文(注5)で詳しく説明されている。 大幅に端折って言えば、この彼らが提唱するコーディネーション科学とは、さまざまなビジネスの構造を、活動(activity)と資源(resource)の相互依存関係によって説明しようとするもので、その相互依存関係は「Flow」、「Sharing」、「Fit」という3つのパターンの組み合わせで理論上すべて説明できるというものである。彼らが構築したこの理論と分析アプローチは、ビジネス活動の分析と考察において強力な分析ツールとなり得るだろうが、本書においては、こうした議論が第一部・第二部での議論とうまく噛み合っておらず、少々浮いてしまっている印象を受ける。 こうしたビジネス活動の「調整(coordination)」についての議論から、本書は最後に人間や組織の「育成(cultivation)」の議論に入っていく。ここの繋がりも少々乱暴な印象をうけるものの、本書の基本メッセージのひとつである「ITの活用により可能となった分散型の意思決定スタイルと組織構造は、これまで人々が犠牲にしてきた個人の自立性やモチベーションや創造性をおおきく羽ばたかせる」というテーマのなかで、予定調和的に議論が結論へと導かれていく。ここで著者が展開する議論は、アカデミックな基礎付けがなされているわけでなく、また事例を使った具体的な説明があるわけでもなく、著者が自身の想像力の羽を精一杯広げて、情感たっぷりに書き上げている。本書がアカデミックな研究書であれば明らかに不必要なパートだとは思うが、本書は一般向けの啓蒙書として書かれているところも多分にあるので、良しとしよう。 この解説を締めくくるにあたり、本書による貢献とその限界についていくつか述べたい。 本書の最大の貢献としては、現代のビジネスや企業が直面している複雑な問題群に対し、「ITの普及により促進される意思決定と組織構造の分散化」という視座からシンプル且つストレートに切り込んで、解決すべき課題をクリアに描きあげたことだろう。 インターネットをベースにした様々な多対多コミュニケーション技術により、これまで人間がなしえなかった緩やか且つ広範な情報共有や協働が可能となった。このことは、コミュニケーション・コストの高さがボトルネックになって実現できなかった分散型組織や自立型労働(例えばフリーランスやSOHO)を多くの場面で出現させるきっかけとなった。当然ながら、こうした分散型協働スタイルは、現代のビジネスの「すべて」の場面でひろがっているわけではない。依然として、Face-to-Faceのコミュニケーションと「すり合わせ」型の調整スタイルが有効なビジネス領域も少なくないし、著者もそれははっきりと本書のなかで認めている(注6)。しかし、インターネット技術により歴史上初めて可能となったこの分散型協働スタイルの広範な意義と可能性について、平易な文章で説明した本書の意義はきわめて大きいといえる。 また、本書が描く現代のITの可能性として、「個人のエンパワーメント」が挙げられる。Eメールやグループウェアやメッセンジャーなどのインターネット技術は、これまで近代技術発展の恩恵を最大限に受けてきた大企業だけではなく、これまで中央集権的意思決定のなかで犠牲になってきた個人を強力にエンパワーし、企業と個人の新しい関係を築く道具となる可能性を大いに秘めている。現代のITは、単なる情報処理のツールというだけでなく、人間の自立性やモチベーションや創造性を大きく拡大させることができるはずだという本書の主張は、働き手の多くが元気を失ってしまっている現代において、希望の光を差しのべてくれている。たしかに、ITの力だけでそんなに簡単に世の中が良くはならないのは当たり前だが、少なくとも、これまで企業組織のなかで埋もれていたり犠牲になっていたりした個々人の能力や役割に、ITは新たな活力を与えるきっかけとなり得るとだけは言えるだろう。 一方、本書における議論は、本質的な問題や限界も孕んでいる。まず挙げられる問題は、本書の全体を通じて流れるきわめて強いITに対するオプティミズム(楽観主義)である。シンプルに言えば、ITの意義や可能性について、「望ましい変化」の部分にほとんどの議論が割かれ、「望まざる変化」についての議論はほとんどされていない。例えば、プライバシーの問題やネット上における新たな紛争の問題などは、本書ではまったくと言ってよいほど扱われていない。コミュニケーション・コストの低下による新たな(望まざる)問題群の様相について、おおまかな分析と解説ぐらいは欲しいところだ。 二つ目の問題は、本書の議論展開の根底にある直裁的な「技術決定論(technological determinism)」の仮定である。往々にして、ITと社会・経済・ビジネスの関係を論じようとすると、「技術が社会を変える(Technology changes the world)」とか「技術がビジネスを変える(Technology changes businesses)」とかいうシンプルな結論が導かれがちだ。本書において展開される議論も、「新しいコミュニケーション技術が新しい意思決定メカニズムや組織構造を生む」というまさにこのスタイルの論理展開である。しかしながら、こうした技術決定論的な説明は、技術を使う人間の意図や目的や感情が完全に議論の背後に追いやられてしまい、ともすれば世の中の変化はすべて技術側の要請によって引き起こされるという単純極まりない結論に到達してしまう(注7)。本書も同種の危険を孕んでいる。 そして三つ目の問題として、経営学における戦略論や組織論の研究蓄積が内容にほとんど反映されていないことが挙げられる。近年、戦略論における議論では、企業の競争力の源泉は、事業領域や製品分野のポジショニングにあるという見方(ポジション・ベースト・ビュー、Position-based View)と、企業内部に存在する模倣困難な知的資源にあるという見方(リソース・ベースト・ビュー、Resource-based View)が存在しており、双方の比較研究や相互補完的な応用が活発になされている。本書において著者が展開する企業の競争力の見方は、様々なビジネス活動や個人間の「関係性」の構造とその変化プロセスの中にあるということになり、言うなれば「リレーション・ベースト・ビュー(Relation-based View)」という戦略論の可能性が見え隠れする。しかしながら、著者はこうした戦略論の議論を本書でほとんどしていない。 また同じように、1990年代以降の組織論研究における「ネットワーク組織」や「社会的資本」などに関する研究蓄積は、本書の内容ときわめて関連があるにもかかわらず、ほとんど触れられていない。さらに、モチベーションや権力といった組織内部の要因についても、経営学だけでなく社会学にも多くの研究蓄積があるが、それも本書ではまったく触れられていない。 本書の内容とそのアプローチに関して、上記の3つの問題をすぐに挙げることができるが、これは本書の本質的問題というよりは、大部分は著者の意図的なものであると思われる。本書は著者の長年の学術研究がベースにはなっているものの、一般ビジネス読者層をターゲットに設定した一般啓蒙書としての味付けが強くされている。そうなれば、上記のような議論の単純化と絞り込みは致し方ないところであろう。また、もともと工学系の研究者としてスタートして経営学方面に研究領域をシフトさせてきた著者に、上記のような最新かつ広範な社会科学研究の研究を扱うよう求めるのは酷であろう。このことを鑑みれば、上記のような本書の問題や限界も許容しうる範囲ものであり、それを補って余りある知見を提供してくれているのは明らかである。 現代の社会やビジネスにおけるITの意義や可能性についての議論は、極端なほど安易に肯定的だったり、逆に極端なほど安易に否定的だったりして、なかなか冷静な議論がなされるような土壌ができあがっていない。本書はやや議論の単純化が激しいところもあるし、梅田氏の上記blogにもあるように、主張としてもそれほど目新たしいものではない。しかし、主張として斬新でも新しくもなかったとしても、それが本当にいま可能になったのだという歴史的事実を、長い歴史的パースペクティブのなかに落とし込んで、具体的な事例を豊富に使いながら平易な文章で記した本書の意義と貢献は決して小さくないと思う。
注2:Malone, T.W. (1997). Is Empowerment Just a Fad?: Control, Decision Making, and IT. Sloan Management Review. Vol.38, No.2 (Winter), pp. 23-36. 注3:Malone, T.W., J. Yates and R.I. Benjamin (1987). Electronic Markets and Electronic Hierarchies. Communications of the ACM. Vol.30, No.6, pp. 484-497. 注4:Yates, J. (1989). Control through Communication: The Rise of System in American Management. The Johns Hopkins University Press, Baltimore. 注5:Malone, T.W. and K. Crowston (1994). The Interdisciplinary Study of Coordination. ACM Computing Surveys. Vol.26, No.1, pp. 87-119. (この論文の初期のドラフトはここで読むことができる) 注6:この議論は、日本においても「モジュール化」や「アーキテクチャ」概念のもとで広範に議論がされている。例えば、青木・安藤編「モジュール化―新しい産業アーキテクチャの本質」(東洋経済新報社)、藤本他編「ビジネス・アーキテクチャ」(有斐閣)、國領「オープン・アーキテクチャ戦略」(日本経済新聞社)などを参照。 注7:技術決定論についての解説として、社会学的な視座からのものとして、佐藤「ノイマンの夢・近代の欲望」(講談社選書メチエ)を、そして情報システム学の視座からのものとして、上林「異文化の情報技術システム」(千倉書房)を挙げておく。
<追記> Permalink | Comments (1) August 24, 2004
『欧州出張報告』
久しぶりの欧州訪問から戻ってきた。8/19の夜に日本に着いたのだが、さすがにもう若くないので、時差ぼけや旅の疲れが完全にとれるまで3~4日かかった。 今回のメインの目的は、スウェーデンのファルケンベリ(Falkenberg)という場所で開かれていた学会に参加して論文発表をしてくること。この学会はスカンジナビア4国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)の情報システム(IS)分野の研究者たちが毎年各国持ち回りで開催しているものだ。 この学会には僕は今回で3度目の参加となる。というのは、僕の指導教官だったCarstenがスカンジナビアの人(デンマーク人)なので、その繋がりからこれらの国の研究者と大学院時代の早い時期からいろいろと交流させてもらってきた。当然この研究コミュニティにおいては、最初僕は完全なstrangerだったわけだけど、今ではだいぶ友達や知り合いも増えて、僕にとっては、ある意味研究のホームグラウンドともいえるぐらいになっている。今回も親しい友人にたくさん会えて懐かしかった。 また、今回はCarstenが学会のオープニングのキーノートスピーチをすることにもなっていた。Carstenは、このところこういった学会でのキーノートスピーチをする機会が増えているようだ。彼とは1年半ぶりの再会だったが、相変わらず元気一杯の人で、もともととオシャレな人ではあったが、ますますそのオシャレに磨きがかかってきたようだった。参考までに、キーノートスピーチの模様(1)、(2) (ただし巨大な画像ファイルなのでご注意)。 Carstenのスピーチは「Mobile Technology - Mobile Working」(PDFファイル)と題され、彼と僕と他3名で始めたモバイル技術とモバイルワークに関する研究プロジェクトをベースにしたものだった。僕はプロジェクトの途中で日本に帰ってしまったので、その後のプロジェクトの進展について色々分かってよかった。オーディエンスの反応としては、相変わらずのCarstenのenergeticで小ネタ満載のトークだったので、かなり良かったように思う。 2日目にはもう一人のキーノートスピーカーであるGeoff Walshamのスピーチもあった。彼は、解釈学的IS研究の第一人者であり、世界的にも著名な研究者だが、今回のスピーチのタイトルはすばり「Can We Make a Better World with ICTs?」(PPTファイル)。イギリス人独特のウィットに富んだ話しぶりで、ICTにかかわる現代の課題をうまく取り扱ったこれまたとても刺激的なスピーチだった(こちらも参考までにその模様)。 その後、学会は2日目、3日目とペーパーセッションとワーキンググループに分かれた各種ディスカッションが行われ、4日目のお昼に全日程が終了となった。発表されていたペーパーの内容やクオリティには少々不満なところもあったが、全体的には十分満足のいった学会参加だった。 今回この学会には、日本からは飛行機でまずロンドンに入り1泊した後、また飛行機でロンドンからスウェーデンのヨーテボリ(Gothenburg)に行って、そこから電車で南に1時間という長旅を経て参加した。ヨーテボリに訪れるのは今回初めてだったが、他のスウェーデンの街と同様、とても小奇麗な感じの街だった。この街にはまた何度と無く来ることになると思う。
帰りはそのまったく逆のルートで、またロンドンを経由して日本に戻ったわけだが、その行き返りそれぞれのロンドンでのトランジットの滞在のわずかな空き時間を利用して、ロンドン留学時代の日本人の旧友にも会ってきた。 行きのロンドン泊の際には、現在バーミンガム大学でリサーチフェローをしているT氏に会った。実は、T氏とは7月末にT氏が日本に一時帰国されていた際に京都で会っていたので、ほんの2週間ぶりぐらいの再会になる。ロンドン留学時代に僕は、このT氏や現在アメリカでAssist. Prof.になられたS氏と共同で、イギリス在住の日本人研究者の自主研究会を定期的に開いていて、そのころからT氏には大変お世話になっている。経歴的には完璧なエリートの方なのだが大変な気配りの人で、いつお会いしても大変気持ちの良い方である。 帰りのロンドン泊のときには、博士課程生仲間だったA氏と1年半ぶりに再会した。A氏はロンドン大学のUCL(University College London)でTown PlanningのPhDコースに在籍している。既に博士論文の全体のドラフトは書き上げたそうで、年内には終えられる予定だそうだ。A氏は僕と経歴や学問的バックグラウンドがよく似ていたこともあって、研究やそれ以外のことなど様々な場面で良い議論相手になってもらった。久しぶりに会って話に花が咲きすぎて、ヒースロー空港に行く時間を忘れそうになってしまった。 といった感じで、約1週間のあわただしい欧州の旅は、懐かしい面々にたくさん会えて、とても充実した内容だった。いまの仕事の感じでは、欧州にもそうそう頻繁には行けそうにないが、やはり年1回ぐらいは足を運んで、旧交を温めながら、研究の活力にしたいものである。まあ、あくまでも希望でしかないが・・・(溜息)。 Posted by MK @ 01:43 AMPermalink | Comments (0) June 22, 2004
『組織学会@東大』
先週末に東京大学の本郷キャンパスであった組織学会の2004年度研究発表大会に参加してきた。 いろんな人の発表を聞かせてもらったけど、特に印象にのこったのが、北九州市立大学の松本雄一氏の「組織における技能形成とその影響要因の考察」と、一橋大学の楠木健氏の「次元の見えない競争と戦略」の2つ。 まず、なんてったってお二人ともプレゼンがうまいうまい。まず、松本氏は関西人らしく軽妙なトークで、時折入れるボケが良い味出していた。内容は、Lave & Wengerの状況的行為論に依拠しながら、いくつかの企業組織における技能形成の話なのだが、本来とても難しい内容をシンプルな構図で説明されていて、リサーチデザインのうまさが感じられた。 楠木氏は、ケースディスカッション慣れしているようで、オーディエンスの反応をうまく掴みながら、発表内容に引き込んでいく。こちらは、最近流行り(過ぎ?)のアーキテクチャ論に企業戦略の話をうまく絡めた理論フレームワークのお話。近年は研究のスコープを非常に狭くとったガチガチの実証研究が多いなか、こうした新しい理論構築を目指す研究の意義はとても高いと思う。 松本氏は僕と同い歳、楠木氏は僕よりちょっと先輩の方だが、とても良い刺激になった。そろそろ僕も、海外の学会ばっかで発表せず、国内の学会で発表してみようかなぁ、なんてちょっと思ったりして。 ++++++++++ <追記> 上で紹介した松本雄一氏のウェブサイト、オモシロ過ぎ。「雑記(Diary)」のセクションにこの学会での発表のことについて早速書かれていますが、キャラ良過ぎです。ぜひご一読あれ。トラックバックできないのが残念。今となっては、会場で松本氏にご挨拶しなかったのが非常に悔やまれる。今度お目にかかったときに必ずご挨拶しに行こっと。 Posted by MK @ 05:11 PMPermalink | Comments (0) June 14, 2004
『みあこネット・シンポジウム@清水寺』
もう1週間以上前のことになってしまったが、忘れないうちにここに書いておきたい。 6月5日(土)に京都の清水寺でみあこネット主催のシンポジウム「ユビキタス社会における地域依存コンテンツの開発と市民メディアの可能性」が開かれ、僕も参加してきた。 みあこネットは市民の手で公衆無線インターネットインフラを作ろうというプロジェクトで、京都で2002年5月から実際に運営がスタートしている。世界的にも例を見ない草の根活動によるITインフラ整備事業ということで、その筋ではかなり有名。そのみあこネットの活動2周年を記念したのが、今回のシンポジウムである。 シンポジウムでは、地域依存型映像コンテンツのコンペの表彰式も兼ねており、受賞作が会場で流された。僕は、こうした映像コンテンツにはあまり詳しくないのだが、とりあえずマス・コミュニケーションを前提にした映像コンテンツではなく、場所限定的な市民メディアの可能性の片鱗は見えたような気がする。 僕が興味があったのは、その後の「日本のコンテンツ産業とその可能性と課題」と題されたパネル討論のほうだった。中村伊知哉氏@スタンフォード日本センターの進行で、竹村真一氏@京都造形芸術大学、藤川賢治氏@京都大学大学、渡辺敏幸氏@新風館、清水宏一氏@京都市、石戸奈々子氏@CANVASら、5名のパネリストによる討論が繰り広げられた。 まっ、要は、広義のコンテンツ産業を地域がどう開発・支援できるのかという話がされたのだが、「なかなか難しいなぁ」というのが正直な感想。新しい産業のテイクオフには、少なからず行政の後押しが必要だというのは間違っていないとは思うが、文化財のデジタルアーカイブの話にしろ、地域密着型コンテンツの開発の話にしろ、結局は極々少数の富裕層が趣味的にアーティストを保護・育成する伝統的なパトロネージュ方式の枠を出ていない。 月並みだが、やはりここで僕は「ビジネスモデル」的なアプローチを開発することが大切だと言いたい。コンテンツ制作が商業的に支えられてきたのはここ1~2世紀ぐらいだと思うが、だからといって、現代のコンテンツ産業の育成・発展を伝統的なパトロネージュ方式だけに依存する理由はない。現代には現代なりのコンテンツ産業育成のやり方があって然るべきだと思う。 今回のパネル討論には、ビジネスの側面からコンテンツ産業を語る人が一人も入っていなかったのが残念だった。このメンツではどうしても文化的・政策的側面の議論が中心になってしまうのは致し方ない(もちろん、面白い議論もたくさんあったが)。 なかでも、僕が一番納得いかなかったのが、質疑応答の際に参加の一人から、まさに僕が感じていたような「今回の議論におけるビジネスモデルの視点の欠落」の指摘があがったところ、複数のパネリストが「良いコンテンツさえ生まれてくれば、それに伴うお金儲けやアーティストに対する報酬の還元の仕組みは自然に生まれてくるので心配ない」というような趣旨の答えをしたことだった。 んなわきゃーない。だったら、今の音楽産業はどうなんだ、と。良い音楽コンテンツはいっぱいあるはずなのに、デジタル化の進展にともなって音楽業界のこれまでのお金儲けの仕組みや報酬還元の仕組みが崩れてきて、それを補うような新しい仕組みがまだできあがっていないじゃないか、と。コンテンツに対する課金の仕組みや著作権保護の仕組みなど、解決しないといけないハードルはいっぱいあるけど、良質のコンテンツさえ生まれていれば、そうした問題は待っていれば解決される・・・、か??? もっかい言うが、んなわけない。 ・・・と、その場ですぐ反論しようと思ったが、なんとなんと時間切れで発言することができなかった。残念無念。けど、僕も明確な答えをもっているわけじゃないので、偉そうなことは言えんし(笑)。 けど、今僕のゼミの学生たちに課題でビジネスプランをたてさせているんだが、その中で、コンテンツ産業における新しいアーティスト支援のモデルに取り組んでいるグループもあって、なかなか面白い。基本のアイディアは、様々なファンドによるコンテンツ制作資金調達の仕組みと、ファン・コミュニティによるアーティストの草の根支援の併せ技なのだが、これをビジネスモデルとして具体化することに意味がある。請うご期待。 まあ、なんだかんだ文句は言うものの、とっとも刺激的な内容のシンポジウムだったことには違いない。会場もとってもステキなところで、事務局の皆様、本当にお疲れ様でした。 Posted by MK @ 09:51 PMPermalink | Comments (0) May 17, 2004
『公文俊平氏講義@阪大OSIPP』
またまた更新ご無沙汰してしまいました。なんだかんだで、やっぱり年度の始めの時期ということで忙しい毎日で、ついつい後回しにしてしまうBlog更新。目に前を流れていく情報の奔流を毎日見つめているだけで、なかなかゆっくりと考えてみることができなくなっている自分が歯痒い。 そんななか、たまには頭のリフレッシュもせにゃいかんということで、学外のセミナーに顔を出してみた。以前にも参加させてもらった大阪大学国際公共政策研究科(OSIPP)の公開講座「ユビキタス社会の公共政策」に参加してきた。 今回のスピーカーは国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)所長で、現在は多摩大学情報社会学研究所長も兼務する公文俊平氏。講義のタイトルは「近代文明における共の原理」。公文氏のライフワークともいえる文明論と情報社会論の統合の試みの最新の成果だ。 公文氏にはこれまでもいくつかのシンポジウムや学会などで遠くから顔をお見かけすることはあったが、今回のような近い距離でお話を聞かせてもらったのは初めてで、僕は非常に感激した。というのも、僕が研究者の道に進みたいと思うようになったきっかけの一端は、公文氏の著作に出会ったことだからである。 大学時代の僕は本当に勉強をしていなかったが、ひょんなきっかけで独立系の経営コンサルティング会社に就職することになって、卒業間際に焦って、手当たり次第に興味の赴くままに本を読み漁っていたときに、もっとも強い衝撃を受けた本が、GLOCOMの初代所長だった村上泰亮氏の遺作「反古典の政治経済学」と、公文氏の「情報文明論」だった。重厚な歴史観と緻密な論理構成、そして何よりも力強く訴えかけるその筆致にいたく感銘し、ぼんやりとではあるが徐々に「僕もこんな仕事をしたい」というように思うようになった。特に、公文氏の情報技術(IT)と社会の関係について論じた様々な著作は、この分野に僕が飛び込む直接的なきっかけとなった。 だからこそ、今回の公文氏の講義は、心躍らせながら聞かせて頂いた。内容は、近日出版予定の氏の著作「ラストモダンと共の原理(仮題)」の抜粋・要約といったものだそうだ。恐らく70近いお歳でいらっしゃると思うが、まだまだ現役の研究者としてバリバリ執筆されているのは、感服・感銘する他ない。 比べるのもおこがましいが、自分もこんなふうに一生現役でいたいなぁと、久々に初心に戻るような気持ちになった。日々精進あるのみ・・・、か。 Posted by MK @ 02:15 AMPermalink | Comments (0) April 26, 2004
『深夜ケータイにメールを送ることに纏わるエトセトラ』
新年度が始まって、あっという間に2週間がたった。2年目ということで、時間的にも気持ち的にも少しは余裕ができるかと思っていたが、甘かった。2年目は2年目で、また新しくやらねばならないことが増えるので、結局忙しさは変わらない。 このウェブログもついつい更新が遅れてしまい、先日たくさんの人に怒られてしまった。「せっかくたまに見てやってるんだから更新しろ」と。う~ん。つーか、公開しておきながら何なのだが、このウェブログ、あんましマジに期待して読まんとってください。単なる雑文ですので・・・(冷汗)。 と言いつつも、ここで書きたいネタは実はたくさんあるのだが、ひとまず自分の備忘録的に書かせてもらいたいことがある。 つい先日、僕のゼミの学生達に連絡を送ろうと思い、彼ら全員のケータイにEメールを送った。ゼミの学生に限らず、上ヶ原キャンパスの学生さんは思いのほかPCのEメールを使わないので、急ぎの連絡を送る際には必然的に彼らのケータイにEメールを送らざるを得なくなる。 数日後のゼミの日、そのメールについて複数の学生からクレームがついた。何かと思いきや、夜中にケータイにメールを送ってくるな、と(もちろんこんな言い方はしていないが)。要は彼らはケータイを目覚まし時計としても使っており、寝る際に枕元にケータイを置いているのだそうだ。確かに、僕がメールを送ったのは深夜1時頃だったと思う。そりゃ深夜に誰か起こされたら腹立つわな。 しかし、これじゃあEメールの意味が無いではないかと、オジサンは思ってしまうのである。Eメールというものは、コミュニケーションし合う人間が同じ時間を共有する必要が無い、非同期型(asynchronous)のコミュニケーションツールであることが画期的なのではなかったか。電話では相手をつかまえて同じ時間を共有させないとコミュニケーションが成立しなかったが、Eメールは自分も相手も都合に合わせてメッセージの送信・受信が可能なのである。だからこそ、仕事の多様性(task variety)に富んだビジネスシーンにおいて爆発的に普及してきたのではなかったか。 それが、Eメールがケータイに乗っかるようになると、非同期型コミュニケーションツールとして普及したEメールがどんどん同期的(synchronous)に使われてきているのは興味深い。学生の話を聞いていると、ケータイで誰かにメールを送って返事がなかなか返ってこないととても心配になるそうだし、また誰かからメールを自分の都合もらったらできるだけ早く返信するようにしているそうだ。 これはある意味意外なことではなく、僕自身の調査においても、同じような結果が出ている。フリーランスのジャーナリストやコンサルタントの携帯情報端末の使用実態に関する調査をした際、かなりの人数がPCに送られてきたEメールをケータイに全て転送しており、重要な案件に関しては、すぐさまケータイから返信するようにしていた。今の僕の職場でも、K先生はPC宛てにEメールを送っても、間髪いれずにケータイから返信がくる。 このようにEメールを同期的に使おうとすると、メールを送る側も受け取る側も新たなコミュニケーションの姿勢が必要となるようだ。送る側は相手の状況(時間・場所)にある程度配慮しなくてはいけないようになるし、受け取る側も返信のプライオリティを新たに考えなければならないようになる。 これはまさに、僕がインタラクションの非対称性(asymmetry of interaction)と呼ぶものだ。あらゆる場所で様々な情報アクセスが可能になるという「ユビキタス・コンピューティング」や「ユビキタス・ネットワーク」などの概念のなかで、「いつでも・どこでも(anytime, anywhere)」と呼ばれているコミュニケーションのスタイルがいかに現実離れしているかは明らかだ。人間同士のインタラクションにおいて、完全に場所独立的(location-independent)・時間独立的(time-independent)であることなどありえない。全ての人間の係わり合いというものは、本質的に場所依存的(location-dependent)であり、時間依存的(time-dependent)なのだ。 そうなってくると、やはり重要なのは、文脈(context)に合わせたコミュニケーションのモード選択と、適切なツール選択だろう。広い意味での、インタラクション・マネジメント(interaction management)が必要になるというわけだ。 ツール面から見れば、今回の学生のクレームは、ケータイの着信音と目覚まし音を別々に設定できないという機能的な問題でもある。実際、僕が今使っているケータイも着信音をサイレントモードにすると、自動的に目覚まし音も鳴らないようになっているようだ(バイブレーションはする)。サイレントモードにしても目覚まし音が鳴るようにすると、それはそれで支障があるケースもあるだろうから、これは意外に難しい問題だろう。 なんかややこしい話になってきたが、今回の話をまとめると、以下のようになる。 「目覚ましには、時計を使え」 Posted by MK @ 01:18 AMPermalink | Comments (5) April 01, 2004
『宝塚プロジェクト@関西学院大学』
昨年11月から僕も参加してきた宝塚市と関学の連携プロジェクトが、この4月から本格的にスタートした。それに合わせて、このプロジェクトのウェブサイトも「宝塚プロジェクト@関西学院大学」として公式オープンした。僭越ながら、ひとまず僕のサイトの下で運用させて頂いている。 このプロジェクトは、先月まで約半年続いてきた「都市再生モデル調査」を引き継ぐかたちで進められ、学内外から多彩なメンバーが集まり様々な活動が行われる予定だ。なかでも、「歌劇研究会」や「連携講座『タカラヅカ学』」には学生もどんどん参加してもらいたい。 このプロジェクトのことは、今日発行の関学ジャーナル(PDFファイル)でも詳しく採り上げられているのでご一読あれ。 今後、このサイトから続々新しい情報が流れますので、今後ともご贔屓にしてやってください。 Posted by MK @ 02:51 PMPermalink | Comments (2) March 02, 2004
『世界情報通信サミット2004』
報告が少し遅くなってしまったが、2/23-24に東京国際フォーラムで開催された日経新聞主催の「世界情報通信サミット2004」に行ってきた。 今年で7回目となるこのサミット、今回のテーマは「デジタルIDで始まる大変革」ということだが、無線ID(RFID)タグなどの自動識別技術がもたらす変化が議題となっている。モノやヒトを瞬時に個体識別できるこの技術が普及すれば、商品流通の構造を変えるだけでなく、新たなビジネスモデルや社会制度が生まれるのではないかと、今この技術に非常に大きな期待が寄せられている。 ・・・が、僕はこのサミットに出て様々な人の話を聞かせてもらった結果、正直、「ちょっと盛り上がり過ぎなんじゃないかなぁ」という印象を持った。 もちろん、盛り上がることは第一義的には良いことだ。様々な議論が活発に行われることによって、この技術に対する世の中的関心が高まるのは悪いことではない。しかし、逆説的だけど、この技術がスムーズに普及し、より大きな社会インパクトをもたらすためには、もうちょっと「ひっそり」と議論が拡がっていったほうが良いのではないかとも思う。 このサミットでも、技術の標準化問題やプライバシー侵害問題など、かなりデリケートな問題も積極的に採り上げて議論されていたが、実はこういった問題は、あまり注目を集めすぎると話が必要以上にややこしくなってしまいことが多々ある。 標準化問題にしたって結局はベンダー間の利害調整が一番難しいわけだし、プライバシー侵害問題もあまり議論が大きくなる過ぎるとエゴむき出しの人々が無意味に権利を主張し始め、大局的な議論ができなくなってしまう。実際、RFID技術を先駆的に実験導入している米Walmart、伊Benetton、独Metroなどは、既にプライバシー擁護団体から批判を受けているようだ(資料:1、2、3)。 もちろん言うまでもなく、議論がオープンになされることは極めて大切だ。しかし、ほとんどの企業が実装どころか実験すら始めていないこのRFID技術に対して、あまり先回りして大掛かりな議論をしないのもひとつの知恵ではないだろうか。 あるメーリングリストで池田信夫氏も指摘していたが、革新的技術は、ひっそりと始まり、多くの人が知らない間にデファクトになってからキラーアプリケーションが登場して爆発的に普及するものが少なくない。逆に、早くから注目を浴び過ぎるのは「負けパターン」だそうな。となると・・・。 というわけで、この世界情報通信サミットの妙な盛り上がりにイマイチ乗り切れなかった柿原でした。けど、今回はこのサミット参加がメインの目的ではなく、コンテンツ開発メーカーのXeNN(ゼン)の宮田社長など何人かの知人に会うための出張だったので無問題。さらには、大好きな天鳳のラーメンも久しぶりに食べに行けたので満足満足。 Posted by MK @ 01:49 PMPermalink | Comments (0) February 16, 2004
『活力ある宝塚創造フォーラム』
昨年11月から宝塚市・阪急電鉄・関学で進めてきた宝塚都市再生プロジェクトのひとまずの成果発表と言える「活力ある宝塚創造フォーラム」が2/29(日)午後1時から宝塚市西公民館にて開催される。 ここでは、プロジェクトに参加した関学の学生たちのアイディアや教員の案などをまとめて発表させてもらう予定。また、宝塚市長の渡部完氏や関学の平松一夫学長などによるシンポジウムも開かれる。 このプロジェクトは、産官学が密に連携して都市再生問題に真剣に取り組んだ全国でも珍しいものだと思う。まだまだ取り組むべき問題は山積みだが、ひとまずこれまでの成果を発表し、今後の具体的な実施に繋げたいという意図のもと今回のフォーラムが開かれることになった。 また、このフォーラム開催にあわせて、本プロジェクトによる都市再生案に対して一般の方々からも広く意見をもらうために、パブリックコメントの募集も現在行っている。ぜひたくさんの方からご意見頂戴したいと思っている。 この「活力ある宝塚創造フォーラム」、入場は無料なので、興味のある方も無い方も、時間あればぜひ足を運んでみて頂きたい。
このフォーラム、200名定員の会場がほぼ満員となる盛況となり、無事終了した。ご参加頂いた方々、ありがとうございました。 関学の学生たちのプレゼンテーションも、会場から暖かい拍手を頂くなど、ひとまず好意的に受け止めてもらえたよう。学生たちも幾分緊張の様子だったが、それを補ってあまりある堂々としたプレゼンで、関学の教員としてとても誇らしい気持ちになった。参加した学生の皆さん、本当におつかれさま。 この日、関学と宝塚市は都市再生に関する包括協定を結んだ。このプロジェクトのこれまでの最大の成果だと言っても良いと思う。しかし、本当に大切なのは゛これから」であるのは言うまでもない。これまでプロジェクトで検討されてきた宝塚再生のアイディアを具体化し、実行していくことが何よりも重要であり、また難しい。また多くの方々からご支援、ご協力、ご提案を頂ければ幸いである。 資料:宝塚市長のメッセージ Posted by MK @ 12:36 AMPermalink | Comments (2) February 14, 2004
『A Meeting with 中村伊知哉氏』
デジタルコンテンツビジネス、特に音楽ビジネスに詳しいスタンフォード日本センター研究所長の中村伊知哉氏に昨日会ってきた。 いま僕が進めているコンテンツ制作におけるデジタル化の制度的インパクトに関する研究の一貫で、随分以前からコンタクトを取ろうと思っていたところ、先日の大阪大学OSIPP公開講座の際に偶然にもお目にかかることができ、今回改めて打ち合せの時間を取って頂いた。 近年注目が集まっている日本のコンテンツビジネスに関する様々な研究会やワークショップなどに引っ張りだこの中村氏。やはりその深い見識と幅広い人脈にはただただ驚くばかり。貴重な助言を頂くとともに、今後の調査などでも協力をして頂けることになった。感謝感謝。これで研究のスピードもかなりUPしそうな予感。4月からの新年度のうちには、何らかの中間成果を出したいと思う。いや、思うのではなく、必ず出さねば・・・。 Posted by MK @ 02:15 AMPermalink | Comments (0) |
© Masao Kakihara 2003-2007
All rights reserved.