Home > Society > 「1チョコ for 1スマイル」に見るソーシャルマーケティング

「1チョコ for 1スマイル」に見るソーシャルマーケティング

今朝、JR山手線のプラットフォームで電車を待っていたら、入ってきた電車の側面に大きく貼られていた広告に目がとまりました。森永製菓の「1チョコ for 1スマイル」というキャンペーンの広告です。

今年で90周年になる森永チョコレートに合わせたキャンペーンの一環らしいのですが、このキャンペーンを知っていろいろと考えさせられたことがあったので、つらつら書いてみようと思います。

まず、このキャンペーンを見て、「あっ!」と思った人。そう、僕もその1人です。このキャンペーンを見て、すぐにミネラルウォーターのボルヴィックの「1L for 10L(ワンリッター フォー テンリッター)」キャンペーンを思い出した人も多いのではないでしょうか。このキャンペーンは、ボルヴィックを販売する仏ダノングループとユニセフがグローバルに展開するキャンペーンで、ボルヴィック購入分1Lに対し、10Lの清潔で安全な水をユニセフを通じて供給するプログラムです。2005年のドイツを皮切りに、いまでは世界各国で展開されており、日本では昨年から実施され、今年は期間を延長して現在も実施されています(10/31まで)。

このボルヴィックの「1L for 10L」キャンペーンは、かなり社会的認知も高く、実際に販売にも大きく貢献したことが知られていますが、こうした他社のキャンペーンを、そっくりそのまま(に見えるかたちで)展開している森永の姿勢に、僕は少々疑問を持ちました。青臭い言い方をすれば、「そこまで真似事をして恥ずかしくないのかな」と。

とは思いつつも、社会へ貢献と自社の販売貢献を同時達成しようとするこの手の手法自体が優れているのであれば、真似っこであっても、取り入れれば良いのではないかという考え方もあるでしょう。確かに、チョコの売上による寄附で少しでも恵まれない人たちが救われるのであれば、それ自体を批判する思いは僕にも到底ありません。

ただ、ミネラルウォーターブランドであるボルヴィックの売上をもとに、飲料水不足で苦しむアフリカでの井戸作りなどの支援に役立てるという「1L for 10L」の一連のストーリーに比べて、チョコの売上でフィリピンの小村での教育支援に役立てるという「1チョコ for 1スマイル」のストーリーは、誤解を恐れずに言えば「取って付けた感」がいっぱいのような気がするのは僕だけでしょうか。

こうしたことを考え始めると、そもそもの話として、こうしたCSR(企業の社会的責任)的要素と、売上貢献的要素を両立しようとする「ソーシャルマーケティング」のアプローチ自体が持つ「あざとさ」も感じ始めてしまいます。

昨今このCSRというのは、そこそこの規模の企業にとっては、避けては通れない課題として突きつけられています。営利活動を追求し、顧客や株主等のステークホルダーの満足度を高めるだけでなく、それなりの組織の「器」として社会の発展や幸福に貢献する姿勢を見せなければいけない時代です。そうしたなか、この「1L for 10L」に見られるようなCSR的意義と売上貢献的意義を同時達成できるキャンペーンは、企業担当者としては一挙両得のとてもおいしいやり方に見えるのも十分に理解できます。

ただ、結局のところ、自社の製品の売上拡大の意図が見え隠れするCSR活動(の仮面をかぶった販促活動)に、なんとも言えない「あざとさ」を感じてしまう僕はひねくれ者でしょうか。そんなひねったやり方より、正々堂々と売上拡大を目指したキャンペーンをしっかりと展開して、その結果としての売上拡大により、国や地域に税金をよりたくさん納めて社会貢献をしてくれたほうが、僕としてはすっきりしたりするのです。

このような違和感が、今回の森永の「1チョコ for 1スマイル」では特に感じてしまうのです。そもそもボルヴィックの「1L for 10L」の成功事例を真似ていることが「あざとく」感じますし、結局その背後にある販促志向の安直な姿勢も「あざとく」感じます。

では、どのようなCSR活動なら良いのかと問われれば、僕にはそれに答える能力も経験もありません。なので、上記の話は単なる僕の雑感でしかありません。また、ダノンや森永やその他多くの企業の社会貢献の姿勢や活動そのものを否定・批判してわけでもありません。それに、「僕らが水やチョコを買うような日常的なことで、少しでも世の中の誰かの助けになるのなら良いじゃないか」という素朴な批判にすら、実はしっかりと論理立てて反論することもできなかったりします・・・。

ただ、近年「ソーシャルマーケティング」のようなキーワードで語られるような物事について、僕がこれまで感じてきたもやもやした違和感を今回の「1チョコ for 1スマイル」キャンペーンでふと思い出したので、書いてみました。端的に言えば、人や組織の営利を追求する(させる)ことで実現してきた近代資本主義メカニズムの功罪の「罪」の贖罪に、いま一人一人の消費者の素朴な購買活動やその動機が安易に活用されようとしていることに対する違和感でしょうか・・・。

このことはこれからも考えていきたいと思います。何かご意見ありましたら聞かせて頂けると嬉しいです。

Comments:3

やこ 08-10-15 (水)

難しい問題ですねぇ。色々考えさせられました。

この森永のキャンペーンは始めて知りましたが
私は画像ひとつにも製作者の心意気が反映されると考えているので
違和感を感じるこの画像を掲げるこのキャンペーンはなし、です。

駅前で募金を呼びかけている人を見ると
「そんな暇あるならバイトでもしてその給料全額募金しろよ」
と思ってしまう私はもっとひねくれてるんでしょうか。

Tsunehiro 08-10-15 (水)

お久しぶりです。

僕はこういうキャンペーンをみると「偽善じゃん?」っていう違和感を常々持ちます。
偽善でも救われる命があかもしれないけど、それとは別に心の底では悪人の癖して善人面するのに
反感を覚えるというか。しかもそれが誰かがやった手法を丸々パクってるとなると余計に
恥知らず加減にイライラが募る感じです。

マーケティング面については、先生のように「あざとい」と感じる人がいればいるほど、
その企業に対するloyaltyが下がるように思うんですが、どうなんでしょうね。

kakihara 08-10-18 (土)

> やこさん
> Tunehiroさん

お二方とも、お久しぶりです。お元気ですか。コメントありがとうございます。

このエントリーを書いて、ちょっと森永への批判が過ぎたかなと、少々反省しておりました。繰り返しますが、やり方はどうであれ、こういった広い意味での社会貢献活動やその姿勢は、まったくもって批判されるようなものではないと思っています。

ただ、これは「1チョコ for 1スマイル」特定事例を問題視したいのではなく、企業のCSR活動を強く要請するようになっているこの時代や社会や市場とは何なのだろうかという、僕自身への問いかけなのです。

あまりにスケールが違い過ぎる話だとは思いますが、世界一の大富豪であるMicrosoftのBill Gatesは、その莫大な資産を世界の病気や貧困の撲滅に向けて活用していこうとしています。これは、Microsoftのビジネスとは完全に切り離された、彼(とその家族)の個人事業ともいってもよい活動です。この活動を、Microsoftという企業を通じて、そのCSR活動として行うことも可能だったはずです。しかし、それをせず、自らMicrosoftの経営の一線から退く決断をしてまで、この慈善活動に取り組むことをBill Gatesは決めたのです。

僕は、CSRの専門家でも実務家でもないのですが、やはりCSRというのは、企業イメージづくりの要素であったり、投資家対策の要素であったり、はたまた今回のように個別商品の販促的要素であったり、本来の社会貢献とは遠い領域の思惑が強く影響しているように思えてなりません。そうすると、「一体全体、誰のためのCSR活動なのだろう」と思わざるを得ないわけです。

今回のエントリーは、そういった企業のCSR活動全般に対する疑問が大部分で、それが「1チョコ for 1スマイル」という森永のキャンペーンを見て鮮烈に思い出されたというわけです。

ちょっとこの問題は難しいので、僕も引き続き考えていきたいと思います。

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://www.kakihara.org/wp/archives/101/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
「1チョコ for 1スマイル」に見るソーシャルマーケティング from kakihara.org

Home > Society > 「1チョコ for 1スマイル」に見るソーシャルマーケティング

Search

Feeds
Meta

Return to page top